運営者プロフィール
「すべては社会を良くして行くために。」
良い社会とはどんな社会なのでしょうか。
私は「和と万葉」と表現します。
自己承認と他者承認の均衡が取れていて、一人一人が自分自身の望む役割を実現している社会。
こんな世界を多くのヒトと実現するために、私は「意思決定コンサルタント」(役割)を選択しました。
意思決定コンサルタントは、あなたに本当の自分から意思決定できる環境を自律的に創る能力を授けます。
三原市出身の私は、母の産道を暗闇から明るい未来へ、首にへその緒を巻いて一直線に出ようとしてました。
幼稚園に上がる前、3回、川や海で流されました。
こうしてブログを運営していること自体が奇跡。生かされていると感じてます。
幼少の頃、祖父との朝の散歩が何よりの楽しみでした。
祖父は散歩で出会う人たちと短い会話をニコニコしながら楽しんでいました。
私は祖父から叱られた記憶がありません。
しかし、2度と見たくない祖父の姿もあります。
それは、中学生の時、
「日本は何故戦争をしたの?」と聞いた直後に訪れました。
「しょうがなかったんじゃ!」
と私から目を逸らして、吐き捨てるように言った祖父は、下を向いたまま黙り込んでしまいました。
いつものような優しい眼差しで、「それはね、・・・」と自分の言葉で答えて欲しかった。
戦争なんていらない。私が目標を持った瞬間でした。
祖父母は私の want to を尊重してくれていました。
私の want to を尊重してくれる父母のスタイルとは異なるモノでした。
この原体験が、今の私の起点になったのでしょう。
もちろん兄弟、家族、親戚、学校から会社、様々なコミュニティ等のご縁のあった方々との出逢いも、変化する私の起点を創っています。
場による涵養
子供の頃から、何かに夢中にならざるを得ない人生を歩んでいます。
「期待」と「不安」と共に新しい場に飛び込み、「期待」と「承認」を強化し拡大して行く場を作る。これを繰り返して来ました。
何かに夢中になる体験の根底には、自らに立てた問いがありました。
ヒトはどんな原理によって行動するのだろうか、ヒトは何故、戦争を選択するのか。
友達との遊びに夢中。
パッチン(めんこ)、カード飛ばし、ビー玉。友達との勝負や、アイテムを交換しながらコレクション楽しんでいました。
かくれんぼ、缶けり、ローラースケート。真っ暗になるまで遊んでいました。
トランプ、将棋。相手の心理状態を読んで、先の展開に方向性を出す今を選択していました。
ソフトボール、サッカー、はちむし。チームで勝つことの喜びを覚えました。
学校でも夢中。
体育。とにかく好き。予測とプレーが磨かれる感覚がありました。
算数(数学)、社会(歴史、地理、公民)。学問・勉強は原理原則を知る機会でした。
運動会(体育祭)、学芸会(文化祭)。クラスや学年等のより大きなチームでの一体感を味わいました。
仕事でも夢中。
医薬品開発。不確実要因のある中、仕事を進めて安全性、有効性の特徴を浮彫にして世に送り出す苦労と遣り甲斐を体感しました。そして、医薬品に限らず、新製品開発、新規事業開発に役立つ知識体系を脳に定着させました。
Knowledge management。過去を未来に活かす。自身の知識体系には価値があることを自覚して、場に応じた価値をあるモノを引き出す技術が磨かれました。そして、チームとして diversity を尊重し、routine を形成する知識体系を脳に定着させました。
Quality management。信を問う。顧客から自身が信頼されるには、自身の仕事が信頼されるには、自身のチームが信頼されるには。これを永続的に実行するには。これを常に自問自答して来ました。夢中になって。全体像と本質を捉えて、表現する技術が磨かれました。そして仕事の全体像と本質を鮮明にしていく知識体系を脳に定着させました。
最も夢中になっているのは・・・
夢中になったことを後から振り返ると明確な目的、知識技術の適用、現状の外に飛び出す感覚、楽しむコミュニケーション、即断即決と、成長に必要な要素がふんだんに含まれ、その密度も濃いという共通点がありました。
夢中になる場を創り出して、成長のスピードを確実に早めました。
私が覚えている最初に夢中になった体験は、幼馴染と花壇のブロックを端から端まで倒してまわったことです。倒したブロックの向こうに見たことのない虫が現れるのを期待して、現れた虫の様子を見るのがただただ面白くて。新しい景色を期待して。
しかし、
全てのブロックが倒れた花壇を見た母は、私を叱りました。
天国から地獄をこの夢中になることで経験できました。
その後、私が最も夢中になったのはサッカー。
頭のてっぺんから足先まで情熱をかけているのはサッカーです。
今でも真夏のかんかん照りの日は、グランドでボールを蹴りたくなります。
そして、
人目を憚らず泣いたのもサッカー。大学時代、夏の大会で負けた時でした。高校まではそんなことはなかったのに。
サッカーの試合では、自分のプレーは自分で決めます。パッと見て、パッと判断して、動く。もったいなくて、躊躇なんかしてられません。
「ゴールが見えたらシュートを打て」「そのタイミングを逃すと、永遠にやってこない。」中学の体育の先生が教えてくれました。
審判の先輩から言われました「ファールの一発目でレッドを出せるか?」審判では選手以上に決断力と精神力が鍛えられました。
そして、コーチとして実行しているのは、試合中に全く指示をしないで相手に勝ち、大会に優勝してしまうチームの育成です。
トリガーとの出会い
夢中になれることを常に追い求めることでトリガーに遭遇しています。
トリガーとはワクワクとした予感と共に出逢う場合や、出逢った後にザワザワとした違和感と共に思い出す場合があります。
ご先祖様に繋がる祖父母や家族からの愛、それは私の want to の尊重によって感じとることができました。
この感覚が私の自発性の起点(トリガー)です。
友達との遊びを通じてサッカーに出会う。
選手としての決断力を、審判としての冷静さを、コーチとしての忍耐力を涵養しました。
学校では学問(体系化された知識)に出会う。
理系の公式から原理原則を、社会系のケースから現実の多様さを、言語系の語感から感性を学びました。
仕事を通じて世界観を拡大。
医薬品メーカーにおける勤務より企業の活動は知識集約型に成らざるを得ない現状を知り、研究開発から製造販売までの実務経験より顧客満足の追求が新たな商品に繋がることを知り、グローバル企業とのコミュニケーションにより自身が世界共通のルール作りに貢献できることを知りました。
私が場に参加して、夢中になれば周りの人達も夢中になり、場を共有する夢中な仲間との会話が次の行動のトリガーになっていました。ある意味、氣脈を通じる場にトリガーが現れると言えるかもしれません。
夢中になる場を創り出して、トリガーとの遭遇頻度を確実に高めました。
私のsimpleなストーリーを実現するために行動していると、私の団体で是非、それを実現してください。と言われる会長さんに出会いました。
プログラムは書けないけれど人工知能を開発したいと行動していると、プログラムを書いてくれるヒトに出会いました。
脳に形成された知識体系
私の脳は蓄積した知識から瞬時に意思決定を可能にするフレームを作り出しています。
蓄積した知識のコンテンツと瞬時にフレームを形成する脳の働きを知識体系と定義しました。
この知識体系を自在に操る感覚が、self-efficacy 自分の能力の自己評価(成りたい自分に成れそうな感覚)を高めています。
私は「自分のやりたいこと」を中心として人生を歩んで来ました。
私の人生は意思決定の連続です。
意思決定がこれまでの人生を作ってきたとも言えます。
上手く行ったことも、上手く行かなかったこともあります。
全ての経験を、私の知識体系に組みました。
サッカーにはゴールまでの流れ、そしてポジショニングのあることを理解し、体感しました。
学問には 知の系譜(Background) のあることを理解し、体感しました。
仕事を通じた成長は本人次第であることを理解し、体感しました。
私の知識体系では全ての経験、観察結果そして入手した二次情報を、感覚としての「期待」と「承認」に結び付けます。
その過程を Backgroundisation と言い、その目的は成長です。
成長は mind set、process、knowledge によって manage(律する)します。
mindset は「期待」と「承認」を中心に形成します。
process は input(入力)、bias(価値の創出)、output(出力) の順番で推進します。
knowledge は routine(標準)と diversity(多様性)に集約します。
知識の分類には必ず、「その他」を設定して既定項目の完成度を照査します。
照査には時間をかける場合と瞬時に行う場合があります。
私の知の系譜は、自発性の発揮が起点であり、それ以降は全て変更管理によって変遷しています。
変更管理は戦略的マネジメント(意思決定重視)とオペレーショナル・マネジメント(結果重視)により行います。
全ての変更管理は仮決めで開始して、完成度を高める手法を瞬時に組み直しながら推進します。
抽象度を上げて現実を観察すると、私の知識体系の質を高まる感覚を持てます。
これらの理解や体感が、私の予測とプレーの精度を向上させています。
国内大手製薬会社に勤務した私、「ちょっと待ってよ、そんなに矢継ぎ早に質問をされても答えられるわけないだろう。」とイライラした様子で答えた同僚の言葉で、ついに気づきました。ヒトはもどかしい気持ちを言葉にできないと、時に周りから理不尽に思われるような態度をとる。その後、私は、本当の自分からもどかしさを感じたら、それを言葉にすることから会話を始めるようになり、やがて、相手の気持ちを代弁できるようになりました。
自分の成長は、これまで体験したことのないことを習慣ではないやり方により実現して行く、「なりたい自分」になって来たprocessとして記憶されています。
本当の自分から意思決定する。すべてのヒトが自律的にその環境を手にすることができる。
そのために「生きるための労働を無くす。」
そして、
全てのヒトから「しょうがなかったんじゃ!」を無くしたい。
以上が、私のコーチングの Background です。
経歴
立命館大学大学院テクノロジー・マネジメント研究科(2011年修了、技術経営修士)にて、ハーバード大学発祥の意思決定理論を籠屋邦夫氏(世界的なコンサルティンググループSDGの日本企業グループ代表/パートナー)から学ぶ。大学院の研究で9領域、20名の新製品開発の担当者に対し、思考と行動のプロセスに関するインタビューを行い、イノベーションの先行研究を調査。新しい価値を生み出す意思決定の共通点を抽出。2010年「第45回 日本経営システム学会 全国研究発表大会」で学生研究発表優秀賞を受賞。
塩野義製薬株式会社にて、研究開発から製造販売までの一連のプロセスを支える。複数の部署の重要な意思決定を経験。医療現場、行政、提携会社、社内の専門家の意見をまとめて一つの答えを出す、ファシリテーションから合意形成に至る一連の知識を体系化。
現在では、趣味のサッカーと仕事で確立したコーチング理論、さらには中島克紀氏(NLPカリフォルニア研究所認定NLPコーチ)から体系的に学んだコーチング理論を融合させ、個々人が「本当の自分から意思決定できる環境を自律的に創り出す活動」を支援している。
苫米地英人氏より、脳科学を中心として体系的かつ継続的に苫米地式コーチング(2014年、苫米地式コーチング認定コーチ)を学び続けており、この学びも私のコーチング理論と統合させています。
ブログ「理念の体現.com」では、「人財育成」「コーチング」「意思決定」「時事問題」をテーマにした考察を発表中。
Decision leads to life.
I believe the power of football system.
日本サッカー協会公認C級コーチ
苫米地式コーチング 認定コーチ
薬剤師
技術経営修士
ビジネスモデルデザイナー認定講師
SHIMOMURA Takuji
公開日:
最終更新日:2020/04/18