認知の壁を突破する
2019/05/08
(シモムラタクジ, マインド・ドリブン・ソサイエティ α, affirmativeArchitect出版, 2018)
マインド・ドリブン・ソサイエティは、「すべてのヒトが幸せになれる地球」の一つのモデル、一つの理想形です。
本著の執筆活動に入ってから、多くのヒトに「すべてのヒトが幸せになれる地球は実現できると思いますか?」と質問をしています。
質問をした人数は50人を下りません。
その中でたった、お一人だけ、不可能と回答されました。 ヒトから闘争本能のなくならないことがその理由でした。
闘争本能と聞くとあなたは何を思い浮かべますか?
コブラ対マングース、野生動物のナワバリ争い、クマの格闘やライオンの格闘。
これは、私からみた動物の闘争本能です。雌を奪い合う状況も闘争本能かも知れませんね。
闘争本能に火がつく。
誰かを打ち負かすことを第一優先に行動する。ヒトの場合ですね。
ボクシング等の格闘技はまさにこの状況かも知れません。
もし、ヒトの闘争本能がなくなる可能性があれば、すべてのヒトが幸せになれる地球は実現できないという主張を覆せるかも知れません。
そして、この主張を覆すということは、そのヒトの認知の壁を突破したことになります。
そこで、
闘争本能は本能なのか? 闘争本能はヒトの認知によって変化するか? そして、ヒトは如何にして認知の壁を突破するのか を今回のテーマとします。
まずは、
闘争本能は本能なのか?
この場合、ヒトと争うことを闘争と定義して、この闘争が本能であるかという問いとします。
本能があるのかないのかという議論があります。
ないという立場の研究者はいます。すべては学習されるという考え方です。いわゆる「闘争本能」も学習したと考えられるという主張です。学習であるならば、それを変えることも可能ですね。
“大脳皮質の中で、島は外側にあり(外側皮質)、帯状皮質は内側にある(内側皮質)ことに注意しよう。内受容信号(内臓の状態を脳に伝える信号)は島の後部に入力され、その信号が前方に送られて、前島で再表現されると考えられている。このように再表現されることによって、われわれは身体を持つ自分自身を意識できると考えられている。”
(乾俊郎, 感情とはそもそも何なのか, P.25, ミネルヴァ書房, 2018)
もし、本能であるならば、すべてのヒトが等しく持つので、誰一人幸せになれない。何故ならば、すべてのヒトが自分以外はすべて敵とみなすことになるからです。これについては、私を含め自分が幸せだと言っているヒトがいるので間違いです。また、「他の誰よりも多くのヒトを幸せにする行動」を闘争本能から導き出せて、他の誰よりも多くのヒトを幸せにしていると自己評価できれば、本人さえも幸せだということになります。
逆説的に周りが全て敵だとしても幸せになれるとすると、闘争本能があったとしても幸せになれることになります。
こう考えると、「闘争本能」は別の表現の方が適しているように思えます。ここから先は「闘争本能」を別の表現にして議論を進めます。
では、「闘争本能」は、ヒトの認知によって変化するのでしょうか?
ここでは、ある現象から推察される「闘争本能」を別の適切な表現ができるとして、その表現されたモノがヒトの認知によって変化するのかを考えてみましょう。
「闘争本能」が使われそうな場面を2つ。
野生の動物が捕食する場面。
食うか喰われるか。
相手を食おうとしている側は、食欲の行動です。
相手に喰われそうな側は、生存のための行動です。
考えてみると食欲も生存のための欲求ですね。
よく考えると、喰う側が喰われる側の死角から捕食に入ると喰われる側は行動の機会はありません。
そこには闘争は存在しません。少し、横道に逸れましたが。
こう捉えると、「闘争本能」は「生存欲求」に言い換えられます。
もう一つの場面。
バンドメンバー間で曲の製作について口論となり、両方の主張が平行線を辿り、互いに主張を曲げない場面です。
一緒にバンドとして活動することが前提なので、これは合意のための行動と捉えることができます。
お互いの感覚が主張の根拠となる場合、論理的に優劣を説明しにくく、理解しにくいので平行線を辿ると合意しにくいですね。
この場合、「闘争本能」は「合意のための行動」。
この2つ、「生存欲求」と「合意のための行動」が、認知によって変化するのかを考えてみましょう。
まず、生存欲求。
ここでは、生存欲求がゆえに「闘争」する状況が当事者の認知の変化によって変化するのかを考えます。
ネコとネズミを例にしますね。
ネズミが闘争を選択せず、逃走を選択すると状況は変化します。ネズミの認知が変化した結果です。
ネズミでしか自分の食欲を満たすことができないと信じていたネコが、たまたま口にしたミミズでも食欲を満たすことができると信じられると「窮鼠猫を噛む」という闘争の場面は無くなります。これは、ネコの認知が変化した結果です。
生存欲求による闘争は、喰う側と喰われる側のいずれか一方の認知が変わると無くなります。
次に、合意のための行動。
バンドのメンバー間で曲の製作についてお互いの主張を曲げない場合、それぞれの主張を反映した曲を製作することを合意できれば闘争は終わります。一つの楽曲ならば、アレンジを2種類作って演奏することで合意できれば闘争は終わります。
もしくは、どちらかの主張を一曲に込めるのではなく、お互いの主張を一曲に込めた楽曲にする。
もし、お互いの主張の折り合いを付けられないのであれば、バンドを解散するか、どちらかがバンドから離れることで闘争は終わります。
お互いの主張に関する認知を融合できないから融合できるへ、関係性の認知をバンドを一緒にやり続けるから別々に活動するへ。
合意のための行動による闘争は、その関係者の主張を変容させるもしくはお互いの関係性を変更するという認知の変更により終わります。
ここでは2つの事例で闘争がなくなることをお示ししました。もし、当事者の認知が変わっても闘争がなくならない事例をご存知な方はご連絡をください。その事例について考察してみます。
そのタイミングが来たら躊躇なく行動。
闘争の状況を、今回の事例で整理します。
生きるか死ぬか、食うか食われるかの生存欲求。
その場所から逃げるか、闘争しなくても食べていける状況を作る。
お互いが主張し合う合意のための行動。
主張を融合させるか、お互いの関係性を変える。
今回取り上げた事例は、どちらも認知を変えられたら闘争は終わります。
ここまでの結論は、
闘争は本能ではないし、認知が変わると終わる。
闘争は認知が変わると終わるので、闘争をするとしてもそれはいつか終わり、ヒトは幸せになれると私は考えます。
ただ、認知を変えるのは難しい。
認知が変わると闘争は終えられると思わなければ、ヒトは認知を変えようとはしない。
何故ならば、認知はそのヒトが幸せになるために、そのヒトが人生をかけて脳内に作ってきた「思い込み」だから。
変えたいと思っても、なかなか変えられないのが「認知」。
これを「認知の壁」と言います。
“テイラーが主張した科学的管理法は、アメリカの経営学の源流ともいわれています。19世紀の終盤に、生産が機械化され、それとともに人間の作業も組織化されました。しかし、人間は機械のように動かず、欠勤やさぼりなどの問題が起こります。どのように生産現場を管理して、生産の効率を高めるかという関心から、アメリカでの経営学が誕生しました。”
(中原淳, 中村和彦, 組織開発の探求, P.126, ダイヤモンド社, 2018)
ここからは、「認知の壁」をいかにして突破するのかを考えて行きたいと思います。
「闘争」という認知の壁を突破して幸せになる状況をシミュレーションします。
ここで、以後の考察を整理するために「幸せになる」と「幸せであり続ける」という2つの感覚を整理します。
「幸せになる」 今は幸せではないけれども、いつか幸せになるという感覚です。この感覚は次の2つに分かれます。
・幸せがどんな感覚か今掴めていないけれどもそれを掴んで幸せになりたい。
・幸せはどんな感覚か分かっていてその感覚を掴みたい。
前者は、ほとんどいらっしゃらないと思っています。快と不快の感覚を標準装備でヒトは生まれてくるからです。幸せは快と繋がっています。少なくともこれまで私が幸せをテーマにして話をした方の中にはいらっしゃいませんでした。
後者は、幸せの感覚を知っていて、その感覚を再び味わいたいと思っています。もしかしたら、幸せな自分を想定している未来をお持ちなのかも知れません。
「幸せであり続ける」 今、幸せを感じていて、次の幸せに向かうという感覚です。
幸せはそのヒトがそう感じたならば幸せ。この考え方を実践されていらっしゃる方だと思います。
闘争の定義がヒトによって異なると思います。一般的には不足感から闘争モードに入ってしまうのではないでしょうか。満たされているけれども、更に、満たされたいという欲求も、不足感と言えるかも知れません。
「幸せになる」も「幸せであり続ける」もある種の不足感からの欲求であり、この欲求を満たすための行動を「闘争」と定義します。あなたは「闘争」に過激なイメージを持たれているかも知れませんが、ここでは、「弱い闘争」もあると考えてください。
考察ここまで。
本能でないとしても、ヒトは闘争をします。
この闘争には「生存欲求」や「合意のための行動」だけでなく、克己(自分を超える)であるとか、誰が悪いわけでもないが自分が憤りを感じる何か(慣習や制度)を変えるだとか、自分の時間や能力を注ぎ込んで目の前の景色を変えようとする行動として現れています。
何故、ヒトは闘争をやめないのでしょうか?
闘争はその人がつくり上げてきた幸せを守る行為だからだと私は考えます。
これは、幸せは守るモノであるとの「認知」から生まれます。
更に、壊れたり、無くなったりするモノは守る対象との「認知」があります。
壊れないし、いつまでもあるモノは守る対象になりません。
こう考えると有形なモノは守る対象です。しかし、有形なモノを守ることでそのヒトは幸せになれるのでしょうか?
有形なモノがそのヒトの幸せと密接に関わっていると信じているとそれを守ることは幸せに直結します。子供と過ごす時間が自分の幸せ。それが唯一無二の幸せの時間だとすると、子供が自分と一緒に過ごしてくれなくなると寂しくなってしまいます。これは、同居していた子供が就職や結婚を期に親元を離れた時に親が感じる喪失感と同質であると考えます。日常的に会えないと寂しくなりますが、再会できると思えればその寂しさも和らぎます。離れ離れに暮らしていてもお互いに繋がっている感覚があると幸せを感じられるのではないでしょうか。親族がお亡くなりになられた時の喪失感もそのヒトの幸せに多大な影響があります。親族と一緒に過ごした時間、その感覚を自分の中でどう扱うのか。ここが認知の壁になります。
有形なモノを幸せの象徴として守ろうとするのは、それに付随する思い出や感覚があるからだと私は考えます。
これを喪失しないための闘争と、喪失した後、この喪失感を埋める闘争をヒトは体験します。前者は実体への対応になりますが、後者は感覚への対応になります。悟ったヒトがモノに執着しなくなるのは、モノそのものからは幸せは得られないことを理解されたからだと思います。
ここで、以後の考察を整理するために空気や自然について考えます。
空気や自然は「壊れないし、いつまでもある」とする見方(概念)とそうではないとする見方(実体)の2つの見方を取りうる対象です。
空気そのもの自然そのものは、地球がなくならない限りこの地球上に存在し続けます(概念)。
しかし、「ヒトが生存できる状態としての空気と自然」はなくなるかも知れません(実体)。
概念
実体
有形なモノは「実体」がありますが、中には同時に「概念」として認識されるモノが含まれます。
無形なモノは「実体」はなく「概念」として認識されます。
「石」は「実体」
「空気と自然」は「実体」があり、かつ、「概念」としても認識される。
SDGs 17は、「ヒトが生存できる状態としての空気と自然」を守るための世界的なムーブメントであると考えられます。
考察はここまで。
では、無形なモノはどうでしょうか?
無形なモノの中に、壊れたり、無くなったりするモノはありますか?
幸せ、健康、やりがい、働き方。
ここでは、この4つを考えてみましょう。
実体がないのは、幸せとやりがい。
実体があるのは、健康と働き方。
どんな状況でもあなたが幸せだと感じれば、思えば、幸せだし、やりがいを感じれば、それがあると思えば、やりがいはあります。
「骨折して右手が使えなくて行動に不自由はあるけれども幸せだし、今の仕事にはやりがいを感じる。」
こんな状況を経験されていらっしゃる方は多いと思います。
一方、
健康は身体や精神の不具合があると無くなります。働き方は貢献する相手がいなくなったり仕事がなくなると無くなります。
「インフルエンザで1週間、家から出られなかった」
「電話の交換手の仕事は、電話の交換機が発明されてから無くなりました。」
こう考えると、幸せとやりがいは、あなたがそれを感じなくなると壊れたり、無くなってしまいます。こう考えるとあなたの「認知」次第ですね。
では、健康と働き方は、あなたがどう行動したとしても壊れたり、無くなるのでしょうか?
確かに、一時的には無くなる事もあるでしょう。しかし、それを再び獲得することは可能です。つまり、再び獲得できるか否かはあなたの「認知」とその後に続く行動にかかっています。こう考えると、あなたの「認知」次第です。
幸せ、健康、やりがい、働き方が、あなたの「認知」次第で壊れたり、無くなったりしない、もしくは回復できるのであれば、無形なモノは壊れたり、無くなったりしないと私は考えるのですが如何でしょうか?
無形なモノとは、あなたは感覚を通して繋がっています。この感覚をあなたの中でどう意味づけるのかはあなた次第です。これも、また、認知。
ヒトは如何にして認知の壁を突破するのかをまとめますね。
ヒトは自分が幸せになる、幸せであり続けるために「思い込み」を持つ。これはヒトが幸せの感覚を再現するために、「闘争」を繰り返した結果である。時として、この「思い込み」が邪魔をして、ヒトは幸せの感覚が持てなくなる。この壁を突破する唯一の方法は、幸せの邪魔をしている体験、それに付随する感覚の意味を自分自身で変更することである。有形なモノに対する感覚をモノと切り離して扱う。それが、認知の壁を突破する第一段階になる。
“ホメオスタシスは、生命の根幹に関わる一連の基本的な作用を指し、初期の生化学によって生命が誕生した、生命の消失点をなす原初の時代から今日に至るまで続いてきた。それは志向も言葉も関与しない強力な規則であり、大小あらゆる生物が、その力に依存して他ならぬ生命の維持と繁栄を成就してきた。”
(アントニオ・ダマシオ著, 高橋洋訳, 進化の意外な順序, P.37, 白楊社, 2019)
私が開発する人工知能は、たった一つの行動原理、principleを実装して、あなたの認知の壁を突破する能力を拡張します。
#無形の何かへの認知
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