分水嶺
2019/08/26
「私は小さな頃から、幸せであり続けたいという想いがヒトの原理から来ると本能的に感じていました。そして、小学生の頃から、その原理の探求を始めました。この原理は、今のところ、ビッグバンを起こした原理、その原理はある種の相転移(第1章 相転移)であると仮決めをしました。宇宙が膨張する過程でも相転移が起きていると言われています。」
(シモムラタクジ, マインド・ドリブン・ソサイエティ α, affirmativeArchitect出版, 2018)
2019年5月1日、日本の元号が平成から令和に変わりました。
私は元号が変わる時代を2回経験。昭和、平成、令和を生きます。
3つの元号の中に2つ「和」が含まれています。
今回のテーマは「和」。
振り返ってみると「和」は私を含め、多くのヒトの行動指針になっているようです。ただし、その範囲に大小があり、そのギャップが「和」を難しくしています。宗教における「和」を考えると分かりやすいかも知れません。「境界のある和」この一見矛盾した概念が、実は多くのヒトの実体を示しているのです。
あなたは「和」にどんなイメージをお持ちですか?
以下は私が「和」に対して持っているイメージです。
「わ」と「和」、ひらがなと漢字ですが、なんとなく形が似ていますね。
「輪」と「和」、「和」の形としてのイメージが「輪」。
「話」と「和」、「和」を実現している様子が「話」。
また、「和」は「美」であるとも言えそうです。
和
輪
ヒトは社会の中で生きています。社会の中で生きること自体が「和」である。私はこう思います。「和」の中心は自分です。自分を大事にすることが「和」の基本であると私は考えます。自分を大事にせずに、他者を大事にする。この状況はいつかバランスを崩します。自分が大事、そして、他者も大事。だから、主張もできます。自分の主張が受け入れられれば通るし、受け入れられなければ通りません。主張が周囲のヒトの役に立っていれば通りますが、役に立ってなければ通りません。自分は大事だが、他者は大事ではない。こんな主張は通りませんね。
「和」は常に、私とともにありましたが、これまで省察をしたことがありませんでした。
「和」が私の生き方にどう影響を及ぼしているのか。
これから「和」と私との関係を省察しますね。
“ダマシオは、情動に対応する一連の活動を誘発する情動トリガー部位が、腹内側前頭前野・扁桃体・脳幹・視床下部だとしている。また扁桃体から視床下部を経て脳幹への信号は社会性に関する自律神経反応を誘発する。すなわち扁桃体は、情動反応に関する指令を出す。また扁桃体には外界からのあらゆる種類の感覚情報が入力されることが知られており、扁桃体は外界のさまざまな対象物に対して、感情を誘発させる部位であると言える。対象物の情報は、脳幹や視床から直接入力されるものや側頭葉を経て入力されるものもある。扁桃体は新規な刺激に対しても強く反応する。”
(乾俊郎, 感情とはそもそも何なのか, P.23, ミネルヴァ書房, 2018)
「和」という言葉をいつ私は知ったのでしょうか?
それは、多分、小学1年生の国語の時間だと思います。
漢字として「和」を知り、その意味を先生から教わったのだと思います。
しかし、その時、「和」の意味するところは、自分の体感覚として持っていました。小学校に上がる前から両親や祖父母は私に「和」を教えていましたし、その実体を他者との関係性で学んでいました。
友達と仲良くするのよ。喧嘩したらダメよ。
母の手伝いをする。
これも母を助けるという「和」の実体だと私は思います。
近所の友達と遊ぶ時、仲間外れをしないで皆で遊ぶ。
集団における「和」を最初に意識したきっかけです。
“明らかに自然選択と遺伝の仕組みは、社会的環境におけるそうした反応を形成し、彫琢し、人間の文化的な心の出現を可能にする足場を構築したのだ。主観的感情と創造的な知性はともに、そのような下地のもとで作用し、私たちの生活のニーズを満たす文化的な道具を生んできた。この見方が正しければ、人間の無意識の起源は、フロイトやユングが想像していたよりははるかに古く、文字通り原初の生物にまでさかのぼる。”
(アントニオ・ダマシオ著, 高橋洋訳, 進化の意外な順序, P.34, 白楊社, 2019)
次に私が「和」を意識したのは小学校でした。
幼稚園では基本的に「楽しむ」という空間だったので、友達との遊びの「和」の延長でした。しかし、小学校は先生が受け持つ生徒の数が増え、カリキュラムに従った授業を計画通りに進める場が基本でした。つまり、小学校では時間の制約が格段に高まりました。更に、協力する対象が友達から先生に変わりました。授業内容への理解に差のある生徒に対して同じ進度で知識を獲得させるのは先生にとって至難の技であった、技であるに違いないと私には思えます。
今、地元の小学校で4年生のfootballer(サッカー選手)のコーチをしていますが、ボールを扱う技術の高低がある中で、トレーニングを一緒に行う難しさを常に体感しています。高い技術を持つ選手が更に技術を高め、技術の低い選手の技術を高める。これを対人トレーニングで実施することが悩みの種です。これは学校の先生が体感されている日常のアナロジーだと考えています。
話を小学校に戻します。
このころの私は友達と楽しむ、先生に褒められることが動機でした。授業中、友達と楽しんでいたら先生に叱られる。この法則を理解した後もついついこんな行動に出てしまう。こんなことを繰り返していたら、やがて、授業中は無駄話をしない自分になりました。「和」の感覚は同じですが、この感覚になるための行動指針がシフトしたようです。無駄話をしないで授業を楽しむ方法を模索して行きついたのが、知的欲求を満たすという態度です。授業の内容を理解しきる。不明点を残さないという態度です。大学、大学院までこの態度は続きました。
中学校に入ってからそれまで「和」の対象が他者であったのが、「和」の対象に自己が加わりました。
この切っ掛けは実は小学4年生の先生の言葉でした。
「陰ひなたをするな」
先生はこの言葉を「先生のいるときはよいこなのに、いなくなるとわるいこになるという態度を止めましょう」という意図で使われました。自習の時に騒がしくなる生徒たちに向けた言葉でした。この言葉を小学生の間、実行するのはなかなか難しかった。黙々と自習するよりも、友達と話をする方が楽しい。黙々と自習しているのに、楽しそうに話をしている友達がいると許せなくなる。こんな心の葛藤と戦ってました。
中学生になり自主的に自己を省察する機会が増えました。自分の嫌なところが見えるようになり、どうして、自分はそんなことを考えるのか、そんなことをするのか。どうすれば、そんなことをやめることができるのか。こんなことを自問自答していました。この自問自答はいらいらしている自分と落ち着いている自分を繋ぐ、好きな自分と嫌いな自分を繋ぐ作業でした。自問自答を繰り返しているうちに、いつの間にか「和」の対象に自己が加わっていました。もしかしたら、小学生のころから無意識にやっていたのかもしれませんが、それを明確に意識して実行するようになったのが中学生から。これは自分の行動に一貫性を持たせるという「和」となりました。
もう一つ、一所懸命に勉強をしていたのですが、この努力が将来、何の役に立つのかを考えるようになっていました。良い高校に入り、良い大学に入れば、良い会社に入れる。この法則は理解していたのですが、良い会社に入ることは良い給料を貰える程度のことしか分かっていませんでした。お金のために勉強している。こう思うと、自分がお金の奴隷になっているようで嫌でした。お金以外の目的のために勉強をするのだとするとその目的は何か。もちろん、「すべてのヒトが幸せであり続ける地球を実現する」が目的です。学校の教科学習を私の人生の目的の実現に役立てる。学校の教科学習を実社会と融合するという「和」が加わりました。
もう、他者の言うことに盲目的に従うことはできず、人生の目的を実現するために勉強する私になっていました。
自己の「和」とは、行動に一貫性を持たせ、人生の目的の実現するために知識技術を獲得する思考と行動です。この後、私は他者との「和」と自己の「和」との「和」に悩むことになります。それが顕著に現れるのが目的を共有して活動をする組織において。
本当の自分を感じる
組織における「和」を最初に意識したのはスポーツです。
体育の授業で、そして、クラブ活動で。
中学校の時はバスケット部。その場に先生がいるときは、先生の関与を前提に「和」を作っていました。しかし、先生がいないとき、すべてが自分たちの関係性で「和」をつくる状況になりました。この3年間は大会で勝利するという動機で部員の気持ちが繋がっていたので自分たちでハードな練習を自主的にこなしていました。そんなときも、基本的には「友達と楽しく過ごす」という感覚で「和」をつくってました。ところが、高校では2年生でサッカーに詳しい顧問の先生が転勤になりサッカー初めての先生が顧問になられました。それからは、日々の練習は自分たちですべて計画して実施しました。すべてが自主です。対外試合の窓口は先生だったのですが、その試合のオーダーも自分たちで決めていました。高校でも基本的には試合で勝利するという動機でまとまっていたのですが、レギュラーと控えで少し温度差があり、それが練習中の態度に出てくることがあり、だれない練習にするため、サッカーの技術が高く、サッカーに取り組む姿勢も誰よりも真摯であるよう努力しました。言葉を使ってチームを纏めるというよりは在り方でチームを纏める選択をしたのです。
“コングルーエンス・モデルの「コングルーエンス」とは、「調和する」という意味です。このモデルでは、組織はオープンシステムであり、インプット(環境、資源、歴史などを含む)から戦略が形づくられ、組織が環境に何らかのアウトプットをしていくと想定しています。”
(中原淳, 中村和彦, 組織開発の探求, P.217, ダイヤモンド社, 2018)
組織における「和」が相転移したのは製薬会社に入社してからでした。
画期的な新薬を開発して世界中の薬がなくて困っていらっしゃる患者様の自発性を回復する。
この一心で会社の同僚や提携会社、そして、医療関係者の協力を得ながら突っ走りました。
目に見えない場所で起きていること
・医療機関での出来事
・海外の提携会社での出来事
・臨床試験の対象疾患の専門学会での出来事
・厚生労働省で新薬の承認申請業務に関する出来事 等
自分が生まれる前から綿々と紡ぎこまれた知識
・自社の歴史
・薬の開発の歴史
・臨床試験の対象疾患の治療方法に関する歴史
・WHOを中心とした薬を安全に使うために変遷してきた世界的な仕組み 等
「目に見えない場所で起きていること」、「自分が生まれる前から綿々と紡ぎこまれた知識」を今、目の前にある課題解決に適用する。これまで以上に俯瞰力が必要な仕事が新薬開発でした。
この高度で迅速な意思決定が必要な仕事に、私は社内の専門家の知恵を集めて対応しました。
社内の専門家の知恵を集める仕事のスタイルは、最初の上司から引き継ぎました。入社したての私に、ご自身の人脈のすべてを提供してくれて、「好きなように仕事をしてくれ。責任は全部自分が取る。」と言って頂きました。
上司の期待に応えるべく、私は論理的な思考を駆使して与えられた仕事をこなしていきました。やがて、「今、確実に言えることは何なのか?」この範囲を特定して、その状況を客観的に文書にする、表現する、言葉にする能力に自信を持てるようになりました。結果的にこの上司に責任を取って頂く機会はありませんでした。
あなたは新薬開発で最も重要な概念は何だと思われますか?
・・・・
・・・・
・・・・
それは、職業倫理です。
社内の情緒的な人間関係のリスクをいかにしてコントロールするかが新薬開発型の製薬企業の生命線です。
会社の共通目的は決まっています。この共通目的を達成に「情緒的な人間関係」が障害になる場合があります。会社の永続性を損ねる事象において。会社の永続性は、社会からの信頼と密接にリンクしています。これは、一般的に「在り方」として扱われるテーマになります。
もちろん、こんなこと当たり前ですね。新薬開発に限らず、どんな業種においても会社の「在り方」は生命線です。
私がサッカー部のキャプテンで氣づいた「在り方」の重要性が、新薬開発においては生命線でした。
私にとって「和」とは、人生の目的を達成するために「在り方」を意思決定する行為そのものです。そして、両親、祖父母から教えてもらった「和」を地球全体に展開するのが私の役割です。
「和」は私の意識の中にあり、様々なモノから感覚として感じ取ることができる。「和する」とは対象を理解し繋がることである。
ここまで「和」と私との関係の省察でした。
マインド・ドリブン・ソサイエティ
私が目指している地球の姿。
日常的に眺めていたい景色。
「輪」としての「マインド・ドリブン・ソサイエティ」は、本当の自分と繋がったまま、なりたい自分になる環境を誰もが自らが主体的に創り出すことが可能な未来です。それは、あなたがなりたい自分になる動機となったヒトたち(input)とあなたを繋ぎ、そして、あなたがなりたい自分になって貢献するヒトたち(output)を結ぶ「輪」。この「輪」の中心はあなたです。そして、すべてのヒトが誰かの動機であり、誰かの貢献相手となる。この導線を繋ぐとすべてのヒトが一つの「輪」として繋がってしまう。
「話」としての「マインド・ドリブン・ソサイエティ」は、本当の自分との対話、なりたい自分との対話。なりたい自分になる途中で出会うヒトたちとの対話。自分がなりたい自分になることで、出会ったヒトたちもなりたい自分になって行く。ヒトがなりたい自分を目指すのは、それがprinciple(たった一つの行動原理)だからです。この「話」の主体はあなたです。そして、あなたの「話」は相手の意識に取り込まれて、相手の意識からすべてのヒトに「話」として伝わってしまう。
「和」としての「マインド・ドリブン・ソサイエティ」は、「輪」と「話」にコミュニケーションの対象が意識であるという事実が加わると、意識の「和」が時代のムードとして出来ます。その範囲が局所から全体へと拡大するスピードがどんどんと早くなり、テーマによっては一瞬のうちに意識の「和」が全体に広がる社会になって行く。
「美」としての「マインド・ドリブン・ソサイエティ」は、一人一人の美しさがSimple, Strategic, Smoothに体現されている社会。美しいモノに触れると心が動かされる。これはいつの時代でも誰にでも起こる内面の変化です。あなたの「美」が、それに氣付いたヒトの心を動かし、そのヒトの「美」を磨きます。この連鎖が起こりやすくなって行く。やがて「美」が多くのヒトが共感し、行動する基準となり、法則ができてくる。
「輪」と「話」と「和」で一人一人の本来の美しさが現れ、それが伝播して行く社会を目指して行きますね。
コミュニケーションの対象は意識
平成天皇が退位に際し、平成が天災の多かった時代で心を痛められたことと、もう一つ戦争のない時代で良かったと述べられました。
そして、被災地を幾度となく訪問をされ、被災者に寄り添う姿がテレビに映し出されていました。
歴代の天皇陛下のお姿は私の中で「輪」と「話」と「和」と「美」のイメージがあります。
もしかしたら、困っているヒトを助ける場に、多くのヒトの「輪」と「話」と「和」と「美」があるのかも知れません。
そして、主体的であり、当事者としての姿がそこにあります。
今回は「和」をテーマに、「和」が私に齎したモノ、そして私の身の回りの「和」にどのような役割があるのかを明らかにし、更に、令和の時代に入り、私が「和」の観点からどのような役割を担うのかという自己開示を行いました。
「和」との関係性を省察し、次の時代における行動を決めた。
私のこれまでの人生を振り返ると、「和」は行動指針になっていました。
今回の省察の結果、最終的に目指すゴールは変わりませんが、そこに到達するための態度が、更に鮮明になりました。
「境界のある和」
そして、私の境界が少し拡大した氣がします。
新しい自分が生まれた分水嶺
Authentic self changed serial self from current to next.
今回の記事は、私の時代の読み解き方の事例です。
あなたも、あなた流の読み解き方で、新しい自分を産み出してみませんか?
一緒に新しい自分をそして新しい時代を楽しみましょう。
#時代のムードを変える
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