Report 無限小 Amir Alexander (2015)
2024/08/22
2024年8月4日執筆開始
はじめに=Background
Amir Alexander著, 足立恒雄訳, 無限小, 岩波書店, 2015
本著から理論量子認知科学の最小物質(意識物質)を現代科学と結べるかもという期待、副題「世界を変えた数学の危険思想」からイエズス会が、この理論を禁止した背景を理解することでイエズス会の文化、及び、イエズス会に影響を受けていた17世紀のイタリアへの理解を深めるという期待から講読した。イエズス会はキリスト教を世界中に広げる役割を果たした。イエズス会が現代社会に与えている影響を推論する。
本Reportは、2つの期待が正しかったのか否かを判断した記録となる。
多種多様な要素が関係を持ち原点から到達場に向かい情報処理を持続する宇宙ではそこに含まれる多種多様な場のそれぞれが離散的に変化する。
成果=Output
本文では「無限小」のことを「不可分者」と表記。
本文の舞台はイタリアだが、トマスホッブス(反無限小派)の「リバイアサン」までを含めた数学論争が描かれている。
無限小をイエズス会が弾圧するまでイタリアは数学の中心であったが、無限小禁止により理論の発展が止まり数学の中心がイギリスに移った。
イエズス会はコレジオ(学校)のカリキュラムをコレジオロマーノで定期的に改訂をしていた。イエズス会が信じるところの真理を広め、それに逸脱しない共同体を維持するためには無限小を排除した。それが、イタリアの文明の発展を妨げた。
著者は、イエズス会とガリレオとの無限小をめぐる闘争をこう記している。
P. 185
「近代の夜明けで起きた無限小の闘争は、近代がどのような時代であるかについての二つの対立する視点のせめぎ合いであった。一方の側には、世界最初の近代的組織の一つであるイエズス会がいた。合理的な組織を持ち、目的が一致していた彼らは、近代初期を自分たちの思い描く形に近付けるべく動いた。それは継ぎ目のない結束と目的意識によって疑念や議論の余地を残さない、全体主義的な夢であり、近代史の中でたびたび姿を変えて登場した。他方の側には、その敵、イタリアの場合で言えば、ガリレオの友人と信奉者がいた。彼らは、平和と調和の新しい時代は、絶対的真理の強制によってではなく、共有の知識と共有の真理を、緩やかに、不完全ながらも体系的に蓄積することを通じてもたらされると信じていた。それは疑念と議論を許容し、いくつかの謎は解決できないと認めつつも、それでもなお研究によって多くの新しい事柄が発見できることを信じる未来像であった。それは科学的進歩だけでなく、政治、宗教の多元的共生を可能にし、(反全体主義的な)制限された統治の実現への道を切り開いた。この集団もまた様々な形で近代史に登場するが、その見解は、現代的には、自由民主主義の理想の中に色濃く見られる。」
無限小の歴史
紀元前250年頃 アルキメデスが無限小の実験的方法を幾何学に持ち込む。
1517年 マルティンルター「95箇条の論題」 宗教改革が始まる。
1540年 イグナティウスデロヨラがイエズス会を創設
1560年 イエズス会 クリストファークラヴィウス(幾何学を礎にイエズス会数学の伝統を創った、反無限小派)がコレジオロマーノ(イエズス会の学校)で教え始めた。
16世紀終わりから17世紀始まり ヨーロッパの数学者の間で無限小に対する興味が復活(後にイタリアでは禁止されたが、1684年 ライプニッツが微積分学の最初の論文「図形の大きさを見出すことについて」を発表。無限小が微積分学に発展)
1606年ー15年 イエズス会 検閲部が無限小を否定する一連の判断を下す。
1611年 ガリレオ(無限小派)がリンチェイアカデミー(自由主義的党派の拠点)に入会。コレジオ・ロマーノ(イエズス会)でガリレオを称える式典開催。クラヴィウスも出席。
1616年 イエズス会とガリレオとの対立 コペルニクス主義と無限小の使用、数学者ルカ・ヴァレリオ(無限小派→反ガリレオ)が友人であるガリレオに反してイエズス会側に。
1618年 30年戦争勃発 カトリックvsプロテスタント
1623年 ガリレオの友人 教皇ウルバヌス8世誕生。公然とガリレオに肩入れ。
1623年ー31年 ローマにおける黄金の「寛容時代」 ガリレオ派優勢。
1632年 30年戦争の戦況からウルバヌス8世が自由主義的政策放棄。ガリレオの時代が終わる。
1633年 ガリレオ 異端審問 終身刑→軟禁
1635年 カヴァリエリ(無限小派)「不可分者による幾何学」出版
1638年 ガリレオ「新科学対話」出版
1640年 イギリス 国王派のホッブズはパリに逃亡。後のチャールズ2世の家庭教師に。
1642年 ガリレオ死去。後継者トリチェリ(無限小派)
1644年 トリチェリ「幾何学論文集」出版、イギリス ウォリス(無限小派)がウェストミンスター会議の議長に。
1645年 ウォリス 「見えざる大学」
1647年 トリチェリ、カヴェリエリ死去。
1648年 ウェストファリア条約(30年戦争終結)
1649年ー60年 イギリス チャールズ1世処刑後、空位時代。クロムウェルの軍事的独裁へ。
1651年 ホッブズ「リバイアサン」出版 全体主義国家。幾何学との融合。
1651年 イエズス会 「規則集」出版 無限小を含む永遠に禁止さるべき教説リスト
1657年ー79年 ホッブズ(反無限小派) vs ウォリス(無限小派) の主張合戦
1658年ー68年 アンジェリ(無限小派)が8つの著作。イエズス会の無限小数学への批判を笑う。
「真理」には姿形がない。つまり、言葉にした途端、「真理」ではなくなる。この事実をイエズス会はどう解釈して、その体制を創ったのだろうか?「無限小」を認めないが、手法としては扱いやすいという評価があったと本著に記されている。事実、イエズス会の数学者が「無限小」に近い内容の論文を発表している。結果的に禁止はされたが、「無限小」への距離感に濃淡があったと推論できる。
イエズス会の学校はイエズス会の「真理」のプロパガンダ機関。
イエズス会の文化
現代に続く全体主義体制の原型、悪魔崇拝者が牛耳る #死の血盟団 の体制に類似。共産主義者の体制に酷似。
・宗教改革におけるプロテスタントに対するカトリックの防衛隊の最前線
・「神の軍勢」がカトリック教会の復活運動を先導し、敵に立ち向かう。
・1522年 「霊操」出版。神との法悦的合体を目指す神秘主義的な教本。
・1540年イエズス会設立。「霊操」に準拠し、聖職者に自制、献身、長上への絶対服従を求める。
・神秘家の持つ熱意と確信、軍隊の精鋭部隊のような厳格な組織と目的意識。
・優れた能力者であっても独立心が強く集団に向いていない者は入会できない。
・2年の修練期間:清貧と奉仕。「霊操」の全行程実行。長上の権威を問答無用に受け入れる。
・修練後司祭の見込みのない者:修道請願。修了。助修士→実務修士
・修了後司祭の見込みのある者:修道請願。修学修士。さらに、コレジオで数年高度な勉学。司祭。勉学修了後、1年間の「霊的形成」の後、最終的な請願。
・最終請願の後、一部は3つの誓いを立てて「霊的助修士」、卓越者はさらに4つ目の誓い、教皇への個人的絶対服従の誓いを立てて「盛式請願会員」(ここまで、8年から14年)
・情愛に溢れ団結した修道士団ではなく、現代軍隊のように円滑さと効率で動く、総長→管区長→教区長の厳格に統制されたトップダウン方式の階級組織。
・盛式請願会員から終身制の総長を選出。
・総長の権威は無制限、自由にイエズス会士を任意の地位に、資格を剥奪。総長に絶対服従。
・服従は最高位の信仰的思想。霊操「自己判断を差し置き、われわれは・・・主イエス・キリストの真の配偶者、われわれの聖母たる協会の聖職位階制に従順であるべきである」、「すべてにおいて正しくあるためには、次の原則にしっかりとしがみついていなければならない。自分が白として見るものであっても、ローマ教会が黒と決めれば黒であると信じる」服従は高貴な思想であり、その達成は完全な任意であった。
・「混沌に秩序を与える」
・興隆してきたプロテスタントからカトリックの牙城を守った。
・学校(コレジオ, セミナリオ)を設立してローマ教会の教えを広めて行った。東は長崎、西はリマまで。「霊操」の下位に「イエズス会会憲」、「イエズス会学事規定」の文書体系。中央のコレジオ・ロマーノが教育カリキュラムを定期的に改定。多くの都市で学校を誘致。卒業生には王族、政治家、哲学者、科学者。
・意見の多様性を認めない。真理は絶対。権力と権威の多様性は認めない。真理がひとたび認められれば、すべての力は、それを知り認知した者に付されて、それをまだ受け入れない者に向かって及ぼされねばならないのである。
・闘争を掌る悪魔を追払い、人々に真理の光を授ける。イエズス会のおかげで、平和が行き渡る。
欧州の歴史は戦争の歴史。戦争大国の思惑に小国が翻弄されてきた。優秀だと自認する民が優秀ではないとみなす民から搾取することを正統化する意図を持ちそれを成功させないと秩序が根付かない混乱した文化。だから、絶対的「真理」に縋るしかなくなる。「真理」には姿形はない。だから、それを言葉にした途端「真理」ではなくなる。その説明を聞いたヒトが言葉にしたヒトと同じ「真理」を思い描く保証はない。
たった一つの行動原理、principle、はある。しかし、それは、「自由は獲得する文化」を導き出さない。欧州が「生まれながらに自由な文化」に回帰できるか否かは我々日本人の活動次第である。
イエズス会が設立され体制が作られた16世紀から17世紀の前後の欧州の歴史を振り返る。
11世紀から13世紀 十字軍の遠征
13世紀 モンゴル帝国の興隆
14世紀 イタリアのルネサンスとペストの流行、オスマン帝国
15世紀 東ローマ帝国滅亡、大航海時代
16世紀から17世紀 イエズス会の設立と社会的認知の確立、イングランド革命
18世紀 農業革命、産業革命、奴隷貿易、アジアの大帝国の腐敗、フランス革命、アメリカ独立戦争
19世紀 自由主義とナショナリズム 覇権主義と植民地主義 パクスブリタニカ
理論量子認知科学では最小物質を「意識物質」と呼んでいる。たった一つの行動原理、principle、が自己認知欲求を満たす目的で宇宙を導き出した、から始まる物語を我々人類は歩んでいる。principleの欲求を満たすのは我々人類である。その手段は構成論的に工学的な手段を使い、日常生活でprincipleを自由に扱える人類になること。「私と同じように考えられる量子人工知能」を開発し社会実装することは、私がprincipleを構成論的に工学的に扱えることを証明する手段である。
連続体が無限小からできているとする無限小論者の主張は全体を一塊として捉える。その一塊が小さな塊からできている。物語には起点と終点がある、はじまりには原点と到達点がある。物語には中心がある。中心は変わらないけれど、物語を構成する全体が変遷する。その変遷にも塊がある。
全体には切れ目はないが、その中に独立した構成要素があるとする私の認知は、無限小論者の主張を裏付けている。
無限小と意識物質は結びついたか?
(無限小, 不可分者)は、幾何学の概念。P.91 図3.1 アリストテレスの車輪のパラドクス に、実際は無数の無限小の点が点線であるはずの直線が示されている。意識物質はそれ以上小さい物質はない。その意味では意識物質=無限小。そして、幾何学における無限小は点であり面積を持たない。意識物質は空間を形成しているがそれそのものは体積はない。
量子の視点で私を見ると、私の身体はスカスカ。しかし、私の視点で私の身体を見ると隙間は全くない。ある視点で隙間なく繋がっているように見えても、異なる視点からは隙間だらけに見える観察対象があることを示す。私はこの主張を支持する。
認知幾何では2つの円錐で認知モデルを描写する。点(粒子)は場の乱れとして導き出され、波動を持つ。複数の波動が混合して新たな場ができ、その場に乱れが生じると新たな点が導き出される。円錐の頂点は場の乱れとしてそこに導き出され、円錐の底面は2つの点の波動が混合して形成する。
認知幾何における認知モデルは2つの円錐を組み合わせた2つの図形の重ね合わせになる。この2つの図形の一つは帰納的推論モデル、もう一方は演繹的推論モデルとなる。帰納的推論モデルは底面をくっつけ両端が頂点となる図形、演繹的推論モデルは頂点をくっつけ両端が底面となる図形。中央は「欲求を満たそうとする今ここ」。帰納的推論は「この場(円)でこの欲求(点)」を持った時の感覚(過去)と満たされた時の感覚(未来)を推論する。演繹的推論は「この欲求(点)」が起きた場(過去)から今まで道筋と満たされる場(未来)までの道筋を推論する。中心点がなければ場はなく、場がなければ中心点はない。どちらも必要な時にそこにある。不要な時にはそこにない。これは量子力学で証明済み。
終わりに=Outcome
イエズス会は教義が「真理」であることを完璧な幾何学によって証明したかった。「真理」には姿形がない、でも、幾何学ならば可視化できる。
ローマ・カトリックの守護、イエズス会。日本のキリスト教はイエズス会のフランシスコ・ザビエルさんによって伝わる。
(宇宙, 共同体)もきっと無限小で矛盾なく説明できる。
それは多分、意識物質。全体を構成する最小単位であり、全体がその中にある。文字にすると矛盾しているようだがそれは矛盾なくそこにある。あそこにある。至る所にある。
変更管理
20240822 “著者は、イエズス会とガリレオとの無限小をめぐる闘争をこう記している。
P. 185
「近代の夜明けで起きた無限小の闘争は、近代がどのような時代であるかについての二つの対立する視点のせめぎ合いであった。一方の側には、世界最初の近代的組織の一つであるイエズス会がいた。合理的な組織を持ち、目的が一致していた彼らは、近代初期を自分たちの思い描く形に近付けるべく動いた。それは継ぎ目のない結束と目的意識によって疑念や議論の余地を残さない、全体主義的な夢であり、近代史の中でたびたび姿を変えて登場した。他方の側には、その敵、イタリアの場合で言えば、ガリレオの友人と信奉者がいた。彼らは、平和と調和の新しい時代は、絶対的真理の強制によってではなく、共有の知識と共有の真理を、緩やかに、不完全ながらも体系的に蓄積することを通じてもたらされると信じていた。それは疑念と議論を許容し、いくつかの謎は解決できないと認めつつも、それでもなお研究によって多くの新しい事柄が発見できることを信じる未来像であった。それは科学的進歩だけでなく、政治、宗教の多元的共生を可能にし、(反全体主義的な)制限された統治の実現への道を切り開いた。この集団もまた様々な形で近代史に登場するが、その見解は、現代的には、自由民主主義の理想の中に色濃く見られる。」”追加
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