学習の記録 白から黄色へ ヨーロッパ人の人種思想から見た「日本人」の発見 1300年〜1735年
2025/11/09
2025年10月29日から
はじまり=Background
仕事の合間にたまたま見つけた書籍
書評で欧州の視点から日本人を取り上げていることを知る。
私の事業、#三原発グローバル産業 では人類を戦争文化から平和文化に回帰させる。
戦争文化は欧州人が世界中に広めた。
自分達を人類の頂点に置くヒエラルキーの物語を自作自演して。
その歴史を理解し、この視点を世界中の民と共有することは人類の平和文化への回帰に有効であると考えた。
私は塩野義製薬時代(1988-2013)にICHの成果であるガイドラインの導入を担当した。
いわゆる製薬業のグローバリズム。
その中で医薬品の臨床使用において人種差よりも個人差の方が大きいという言説が主流を占めていた。
だから、白色人種と黄色人種では治験の結果は相互利用できるとされていた。
本著を講読することで、ここでも欧州人の二枚舌外交が再現されているのかを確認したい。

成果=Output
原文の引用は” ”。内容を解釈部分はそのまま。私のコメントは(コメント” “)として記録する。
2段階で学習する。
1 概略を掴む:本著の最初と最後をまず講読する。次に図表を閲覧する。そして、理解を深めたい箇所を精読する。
2 全体像を頭にいれる:精読した箇所を繋いで全体を通読する。
1 概略を掴む
日本の読者へのメッセージ
“19世紀初期の日本人で、自分の肌が黄色と考えた日本人はいなかったし、肉食に関心を抱く者は、極めて稀であった。しかしながら、1970年代の日本では、マクドナルドの販売キャンペーンは、相当な関心を引くと共に多少のユーモアを持って受け止められた。”(?)
コメント1”どこから引用したのだろう?「肉食に関心を抱く者は、極めて稀であった。」”
“明治時代が、日本人種という思考の始まりだったのであろうか。そしてそれは、ヨーロッパ人それとも日本人の着想であったのだろうか。本書は、まさにこの疑問を対象として考察し、答えを模索する。本書は、日本人対象の人種問題を課題とする。大きい研究プロジェクトの第一部に当たる。つまりその初巻は、西欧における日本人観のよってきたるところ、即ちその思考の起源を検討し、更に、日本との出会いから二世紀経過するなかで、その思考が”白色”人種から”黄色”人種に変化した経緯を追求する。”
“人種は不可避的に人種主義と結びつく。そのためそれは強いネガティブな効果を及ぼす。それは、我々人間の集団上、個人上のアイデンティティに関わる。同様に、それは集団のイメージの故に個々人に対する差別と偏見をもたらし、戦争を引き起こす公算を強めることすらある。”
“人種概念の犠牲者であるだけでなく、進んでそれを適用した者としてまず日本人は他の誰よりも、本書に意義を認めるであろう。”(?)
コメント2”日本人は人種概念の犠牲者となることを進んで選択したと記述しているのか?”
謝辞
著者は1995年から1996年にかけてスタンフォード大学で博士課程終了後の研究中に調査を開始した。
謝辞に登場する日本人名:北原順男(惇)、松井洋子、栗山茂久、小川俊樹、石上英一、山本博文
著者の言葉
“二十年以上も前になるが、私は日本国民の心理歴史上のメカニズムを研究するため、日本に行った。自分には、国民の言動にむら気がありその振る舞いにはぶれがあるように思われた。私はまだ大学院生であったが、1868年の明治維新以来、日本における国民の自信と自我像が、上向きになるかと思うと、下降することに、大変興味を持った。”
“動揺する態度には、国民の自己認識(アイデンティティー)の問題がからんでいるようで、その根拠に人種問題があると見られるが、これまで無視されてもいる。”(?)
コメント3”著者は1919年パリ講和会議における牧野伸顕さんの人種差別撤廃提案、戦後、GHQによるWarGuiltInformationProgramを根拠にした日本人の人種観を示しているのだろうか?”
“西洋には、日本人の人種的側面に随分昔から関心があった。極めて長い歴史があるので、1904年に日露戦争が勃発した時、”日本人種”という概念は、西洋人の心に確固として存在していたように見える。”
コメント4”このことを明記している1904年当時の研究者の論文からの引用なのか?それとも著者がそのように認知しているということなのか?後者であれば、この著作の真偽は定かではない。”
“彼等は、日本人がモンゴロイドに属する典型的なアジア人種であり、その中での個別の集団であると見た。その見地は確固としていた。彼等の依拠する見地は、独特ともいうべき形態の偏見と人種主義が染み付いていた。それは、文化的そして大抵は生物学的優越性という強固な感覚に由来するものであったが、同時に尊敬と恐怖心が入り混じった得意な見地であった。”
コメント5”「尊敬と恐怖心が入り混じった得意な見地であった。」が何であるのかを理解した。多様な欧州人が日本にやってきた時の記録、特に、明治以降、には、善人の住む国として描かれている。これは、欲求(搾取, 支配)を肯定してきた、肯定している欧州人には理解し難い文化として受け取られていた、と推論した。”
“日本人は非白人、非ヨーロッパ人、非キリスト教徒で、西洋人と比べれば、はっきり言って劣等民族であるにも拘らず。彼等の地域で、少なくとも同じ条件で、いかなる列強とも戦うことができた。かくして日本人は、人種上の一大奇態として扱われ、武勇の民と言われるかと思えば、”黄禍”の権化との刻印が押され、あるいは押し寄せるモンゴル集団の現代版とみなされる。・・・。戦争が激化するに伴い本格的な人種主義のタガが外れて、日本に対する欧米の不安は、毒々しい嫌悪に変貌した。日本人は、恐るべき惨禍をもたらす激しい戦いで、不倶戴天の大敵として扱われるようになる。”
コメント6”この経過は日本が強国になる基盤が(搾取, 支配)ではないことによる恐怖を欧州人が感じたのだろう。欧州人は他の地域の民から恨まれているとの自覚があるのだろう。恨んでいるヒトからの仕返しはその時まで恨んでいることを隠し通していると突然その刃に遭遇することになる。欧州人は昔からこの恐怖に支配されている。”
20世紀前半から西洋対日本は人種によって関係づけられた。その前に50年の日本人研究があった。1854年の強制開国。それまでの二世紀はほとんどの西洋人は日本人と接触がなかった。1904年、1905年の日露戦争に�よって固まって行く日本人への見方は、その前にあった古い確信をそのまま引きずっていた。
“16世紀に最初の欧州人が日本にきた時、彼等は日本人を白い肌で文明人と観察し、アジア一の、最も聡明な人間に出会ったと考えた。
日本人はいつ”黄色”に変えられたのか。西洋人が組み立てたポジティブな概念が変化するのは、どの場面からであろうか。
日本と西洋が向かっていた人種上の衝突コースは興味ある研究課題である。概念の変化と衝突コースの究明は、大変な仕事のように思われる。”
コメント7”西洋と日本人との衝突。お金持ちに支配される西洋と支配されない日本。この(文化, 民族)の違いが衝突の原因である。どちらも封建制を取り入れた国家運営を行なった歴史を持つ。癌細胞のように平穏な日常を営む民から強奪する反社会性パーソナリティ障害を許さない日本人が自らを奴隷にすることを拒んだ。その象徴は1919年パリ講和会議における牧野伸顕さんの人種差別撤廃提案。大東亜戦争の終戦によって武力による活動を終えて武力によらない活動が続いている。学校と大手マスコミによる洗脳構造に気づくヒトが世界中に増えている。その当事者がインサイダーとしてこの構造を変えている。”
この課題を扱う著作は3巻構成
本著が第1巻 近世 ポルトガルの船乗りが日本に来航(1543年)してから分類学のカールフォンリンネが著書「自然の体系」日本人をヨーロッパ人とは異なる別種に分類した時(1735年)まで。
第2巻 近代(1735-1905)出発点は準鎖国の二世紀(1735-1854)ヨーロッパと北米で人種論議の構築が進んでいた。中国人と日本人を含む、”黄色”アジア人種の概念が浮上。
第3巻 1854年開国から1905年日露戦争終結まで。日本に対する人種関連著作の著しい増加を観察し、それをめぐる論議の整理、分類を扱う。
序
“黄色人種は、ヨーロッパ人の創作である。”
白と黒の中間。
ヨーロッパ人は東アジアの黄色人種を階層のその位置に固定。
中国人および日本人はこのラベル付を知らなかった。後に苛烈な境遇を経験することとなる。
ヨーロッパ人の侵略行為に激しく対抗したのは日本人
16世紀にはヨーロッパ人が出会った集団の中で最良の民だった。それが、啓蒙時代(17世紀後半から18世紀)のヨーロッパに登場した人種的階層では下の方に落とされた。
コメント8”フランシスコザビエルの来航が1549年。キリスト教の布教活動が思うように進まないことが侵略し難い民族として認識され敵対的な対応をすることに決めたのだと指摘する。”
本書では”黄色人種”の登場と変容を扱う。
東アジア全般、特に日本に関する論議から前近代および近世のヨーロッパで人種主義がどのように展開したかを検討する。
“現代人種思想の起源だけでなく、その発想の動機について、新しい光を当てる。”
“力、文明そして技術面での彼等の特性すべてが、近代人種論特に人種主義論議にとって、極めて重要であった。
人種と人種論議ー基本定義
19世紀半ば、ベンジャミンディズリーさんは著作「タンクレッド」で「すべては人種である。これに代わる真実はほかにない。」と主張。
この見解に同意するものは現代ではほとんどいないだろう。
コメント9”研究者、学者はこうなのかも知れない。その事実を私は知らない。しかし、社会の仕組みの合意を形成している多くの人達の間では、人種がその意思決定の要因になっていると私は指摘する。”
“現実場面を見ると、人種用語が実際に出現する随分前から、民族的な出自と身体上の外観といったいわゆる人種的属性をベースとした相違が幅を利かせ、人間の行動と社会的関係に影響を及ぼしていた。”
人種の概念は使われ始めてから現代まで曖昧なままである。
“「身体上の特徴を物差しのベースとした(生物学的というよりは)社会的な定義」の集団を指す。”
ロバートマイルズさん、チャールズヒルシュマンさん、マーカスWフェルドマンさんの人種論。
“人種特有の知能や平均余命数に影響する遺伝子は存在しないが、人種/民族集団を他の集団と大きく区別する身体上の外見を目立たせる遺伝子は存在する。”
コメント10”知能や平均余命数に影響する遺伝子は見つかっていないと表現する方が正しい。”
“人類の近代史を見ると、この今日的識見が人種思想の重大視に歯止めをかけていない。史上最悪の人種紛争が猛威を振るったのは、つい数十年前のことである。第二次世界大戦では、異人種得に”劣等”人種と同定され、一般市民と戦時捕虜が何百万も殺された。”
コメント11”第二次世界大戦前後の人類史を俯瞰すれば、第二次世界大戦後、イスラエルを建国するために、ナチスがユダヤ人を大量虐殺したと解釈できる。本著で扱うテーマは、時のお金持ち、権力者がどんな意図を持っていたのかを明らかにする目的で研究することでのみ、人類に貢献できる。企業社会主義に至る全体主義の変遷が登場しない社会科学の研究は世界の仕組みを明らかにする活動にとってはノイズにしかならない。御用学者の罪”
人種の概念は18世紀に根を下ろし、その後、二世紀に渡り多大なる影響を及ぼした。
他者に対するヨーロッパの論議は民族性が支配していた主張する研究者がいる。
“本書は、この分岐の線が人工的であることを示そうとするものである。”
人種と民族性は区別が難しい。
しかし、現代の人種の定義は民族集団の定義と相当異なる。
“社会学者マイケル・バントンは、民族集団の場合、「成員としての資格は、通常自由意志の問題」であるが、「人種集団の中ではそうではない」と説明する。”
“人類学者のサンドラ・ウォールマンは「決定的なのは、分類者の選択概念、あるいは不変性に対する受け止め方である。つまり、分類者と分類されたものについては、観察された違いと解釈の仕方がものを言う。結局は、分類者と分類されたもの次第」と指摘している。なかでも一番重要なのは、民族ではなく人種上の相違は、完全に客観的な身体的マーカーをベースにしていない、と言うことである。それは、生物学的現実ではなく、文化的構造である場合が多い。”
コメント11”ヒトはそれぞれが独自の認知モデルを持つ。研究者も同じ。だから、専門領域における定義がその研究を深める上で重要となる。”
品種(race)は主として動物等に犬の繁殖の質を記述するために用いられていた。
啓蒙時代以前は一貫した使い方をされていなかったようだ。
近代の似非科学的用法がいかに不適当であったのかを示している。
コメント12”欧州人は不利になると恥ずかしげもなくゴールポストを動かす習性がある。”
バントンさんの著作「人種理論」には18世紀以前の人種概念にはほとんど触れていない。
16世紀および17世紀の人種という言葉の使用について、血統の見地から言及し、その言葉はすべての人間が自然界の他の有機体と同じように、人類の祖(アダム)に起源を有すると示唆している。
コメント13”人類の祖から人類がはじまったとするのであれば人種はないのでは?元が同じだから。”
数世紀前まで欧州にはどの言語にも人種に当たる言葉はなかった。近世の欧州には人種理論を発展させるための人種という言葉は不要だった。
本稿では人種思想史の検討を控え、この言葉の歴史にも深煎りしない。検討対象の特定時期という文脈で、その意味とその仕様および使用者について検討する。
“大まかに述べると、生息環境を共有する比較的大きい集団について論じられる、社会的組織化プロセスが、論議を構成する。更に、このような集団成員に関する相当一般化した記述、評価が、基本的には人種上の考察対象であり人種論議の一部を構成する。身体的外見上の諸側面を記述し、分類を可能にするために、彼らの起源について詳細を提示し、あるいは地位や達成度の尺度上に位置付けする情報や、判断形成によって、論議は”人種”論となる。
ミッシェルフーコーさんは概念および理論の進め方の枠組みを提示した。
イアンパーカーさんはフーコーを支持し、論議の運用を論述体系とした。論議の対象を構築する。その論議の発展段階とその規模を測定する道具が出来上がった。
しかし、構築上必要な基本条件そのものを欠いている。
啓蒙時代以前の人種ー論議とその要素そして展開
人種の用語は漠然として幾つかの言語には当初存在していなかった。根拠と言うべき言葉、概念を欠いている。
近代の人種概念は18世紀後半から少なくとも20世紀中頃まで理解されていたものは、初期の民族史になかった一連の新しい教義と明確な定義で成り立っている。この当時に認識をまだ相当引き継いでいる。
初期に体系化された概念は長く残っている。
啓蒙期以前の資料は、例えば、各種集団の身体的特徴、振る舞い方、起源そして民族上の類縁性に関する綿密な調査と詳しい記述が残っている。集団成員の身体的特徴と特定の行動様式の間に一定の関係が存在し、それぞれの集団は同等の素質を与えられていないとし、階層的な順位をつけられることを示唆している。
この人種論議の初期的形態は、先駆者であり、結局、近代人種論議の基本成分となる。
啓蒙時代以前の人種思想の展開についての予備的パラダイムを提示する。
分類のパラダイムは、本質的には一般性があるが、実際はヨーロッパのもの。
当時のヨーロッパは探検航海時代。さまざまな人間集団との出会い、経済的競争、軍事闘争、そして支配がある。
少なくとも15世紀から始まった。
この過程で科学、知識の革命、組織的情報収集、資源の段階的開発と利用を生起した。
しかし、ここに至っても人種登場のモチーフに焦点を合わせる段階になく、人種の構成素を結びつける一般的なパターンを備えていた。
人種に関して議論し分類をしてきた過程を4つのステージ、12のステップで次から説明する。
ステージⅠー最初の出会い
文化人類学者 クロードレヴィストロースさん、発達段階に関係なく、人間が”序列を求める”固有の欲求を満足させるため、自然界を分類する知的ニードを持つ。
ヒトは二人以上の他者に出会うとその集団を類別し、グループ分けしようとする。初期の情報は比較的粗雑であり、バイアスがかかる。観察対象によって形成されるのみならず、観察者の経験的知識に基づく概念的枠組み(主観)にもよる。
これが人種論議の土台、出発点になる場合が多い。
“他者との出会いにおいて、特に未知の集団の場合は、まず自己との類似点と相違点を確認しようとする。”
相違(身体的, 社会的, 心理的, 精神的特徴)に重きをおく。
“他者の存在は、人種概念の展開上前提条件となる。”
コメント14”理論量子認知科学では一人一人(知っていること, できること)が異なるとする。ここに列挙されている相違の4つの特徴は一人一人が異なるとの立場を取る。今の日本ではモンゴリアンだけでなく、アフリカ系、中東系、東南アジア系の身体的特徴を持つ日本人がいる。更に、移民1世の文化的背景を持ち込み日本で生活をしている。この場合、移民は別の人種と分類されるのだろうか?日本の文化を尊重し、日本の社会規範に従う移民は別人種ということか?そもそも、人種を多用するヒトが何を目的にそれを使うのか?という議論がここまで出てきていない。今のところ、目的なき概念。”
“人種論議は他者の身体的特徴に注目する傾向がある。”
特に顔。評価上最も目立つ特徴。
“ひとつの民族集団の中で、身長、体重そして顔つきに見えるようなフィノタイプ的バリエーションは、集団間で見られるバリエーションより通常は大きいのである。”
歴史上、観察者たちは民族集団を区別する場合、限られたフィノタイプ的特徴に重点を置いた。人種論議も同様。
肌の色、皮膚につけた意図的な傷跡、髪の色と形状、スタイル、男の髭と体毛の量、瞳の色、目と鼻および口の形状、体格、足の長さ、衣服
“人種論議は、まず特定集団の明確かつ特有な点を、輪郭としてまとめようとするのが、第一歩である。”
身体的部位を超えて、発達上のバリエーションと変化のない、安定した成分も認識する傾向がある。
プロファイリングは、カテゴリー化の認知過程の結果である。他者集団と既知集団(特に自己の所属集団)との間に見られる相違点、類似点を調べるときの副産物。
身体的外観、性的行動、攻撃性、性格の強さ、社会的マナー、信仰、居住レベル、支配形態、生活様式、諸道具の使用。
血縁集団、社会階級、通常同じ地域に住み、単一の言語をしゃべり同じような宗教を信仰し、その他ほかの集団とは違う様々な特徴を共有する大きい集団のこと。
コメント15”悪魔崇拝、秘密主義、儀式で子供を殺す。反社会性パーソナリティ障害の際立った特徴。”
ステージⅡー地域の情報
“このステージは、特定集団とその成員の一般的性格及び身体上の外見に関する相当な知識を必要とする。”
周辺諸集団にも精通する。
“近世ヨーロッパでは、人種、家系(ストック)、血統(リニッジ)、あるいは血筋(ステム)という用語が、一つの集団の歴史的期限と他集団との類似性を記述するためにこのステージに導入された。”
“人種論議は、特定集団の血統や血筋、そして、その集団が形成された地域、元祖を含む先祖の確認に対する関心、を特徴とする。”
集団の継続、血筋の純粋性、血筋の混合経過
コメント16”この項目は王族や貴族を人種の観点から扱えるように設けたカテゴリーに感じる。どの時代にも御用学者がいるという証拠なのかも知れない。また、近親相姦があった時代、近親相姦が残る家系への配慮にも感じる。”
“人種論議は、ほかの集団との民族的類縁性を探そうとする。”
“通常、集団は近くの集団と歴史上文化上言語上結び合っている。”
“人種論議は、特定の対象から一般へ、そして次第に包括的な大きい集団へ進んでいく傾向がある。”
“広大な地域で居住地帯と一定の特質を共有する集団を一括して総称する。”
ヨーロッパ人、インディアン。
ステージⅢー長期の出会いと地域情報の拡大
必ずしも似たような居住地を共有しない。幾つかの集団への精通を要する。このステージの分類は認知過程を早め、手っ取り早い確認を容易にする。その反面、現実を歪めた見解、硬直した判断の一般化のリスクがある。
この分類は合意の形成に長い年月を要する。
“人種論議は、特定集団について、いくつかの目立つ身体的特徴を非身体的性格と結びつける傾向がある。”
観相術(ギリシャ・ローマ時代、中世)は個々人の顔に出た特徴そその起因を読み解こうとした。結果的には民族集団を比較する人種論議で有効な規則を見出せていない。
“他者との接触増加が刺激となって、観察者たちは自分が掴んだ相違のもとを説明しようとした。”
“当初、外見と行動様式上の個人的相違は、人間の粘液で説明され、集団間の相違は、気候と地理的居住環境で考える傾向にあった。”
“人種論議は、目に見える外観の特徴と、各集団に特有なものとされる内的素質をもとにした価値判断に関わってくる。”
“この判断は、最初観察者が出会った人間(数が限定的である)と観察者の集団との比較をベースとするが、次第に一連の特徴と人間に関する一見したとこと普遍的な知識をもとにして、集団全体に適用されてくる。”
“観察者の立場とその民族誌的観察の目的が、中立であることは見たところ稀である。当初の出会いの時だけでなく、数年経てばなおさらである。その意味で、彼らの判断は、彼らが構築した他者の全体像だけではなく、関係の性質、そして特に彼らが作り上げた力関係にも、影響される。”
コメント17”白人が有色人種を下等であると根拠なきラベル付した歴史を示している。”
蔑視的性質の場合が多い
“一つの集団が別の集団に優越する特権を持ち、その維持に役立つということである。”
人種主義の核心をベンジャミンイサークは「個々人を優れて、あるいは劣った人間の範疇に入れる。その範疇内で、所属するとみなされる集団固有の身体的頭脳的精神的特性を共有するとし、そしてその特性を個々人で変えることはできないとする」と表現した。
コメント18”人類に貢献するとの観点から相対的に劣ったヒト、独り占めするためならばヒトを殺し、嘘をつき、相手を貶めるために仲間でさえ殺す、が集団で、もしくはお金で買った権威によって、自分たちよりも優れたヒト、集団を陥れる手段として人種主義が使われている。”
“二つ以上の集団に関する総合的価値判断が行われると、人種論議は暗黙理に順位づけに走る傾向があり、時間の経過と共にあからさまな集団間ヒエラルキー作りに励む。”
“民族集団のヒエラルキーは、特定の地域で、あるいは少なくとも同じカテゴリーの一定集団の中で、今なお発展する傾向がある。”
ステージⅣーグローバルな情報と集大成
人種主義の最後の方で起きる。現代の認識は欠いているが、18世紀の人種思考に特徴的な要点の大半を備えている。
“身体的特徴と行動上の性格そして生息環境もベースとした、明確な人類の普遍的分類である。”
世界中の様々な集団と文化について詳細な知識の蓄積と相待ったヒエラルキー絡みの見解。
人類学、認知心理学、言語学を含む学問分野の研究が示すのは、一定条件を満たすと人間は念入りな地位と功利的分類をベースにした階層順位システムを作る傾向がある。
人種論議でこの比較的進んだ段階に入るには全地球規模で多数の集団を認知し、民族誌的情報の組織的収集整理があり、比較方法論のための複合的な基準がある。
大航海時代の前には不可能だった。いくつかの重商主義帝国に支えられて高められた。
各集団の起源と歴史、集団間の関係、共通の性格と相違について詳しい情報が必要となる。
“ヒエラルキー構築は、次第に精緻度を増していくが、広大な地域に居住する多数の集団について、長期間観察し、情報を収集して分類していくには、それ相応の能力が必要である。”
グローバルなヒエラルキーの構築は比較的長期の時間を必要とする。
全ての既知集団を分類し、カテゴリーに入れようとする。
各集団を垂直型のスケールへ組み込む傾向を示す。
高度の文明を持つと考えられ、強力な軍事力と技術的に進んだ集団がトップとなる。
未開で弱く、技術的に遅れた集団は、勿論下位に置かれる。
コメント19”反社会性パーソナリティ障害を人種論議ではどう扱うのだろう?この記述を額面通り受け取ると(搾取, 支配)に長けた人種が頂点に立つと読み取れる。詐欺文化を長年かけて熟成してきた集団が人類にとって必要なのか?ここまでの人種論議は野蛮でしかない。”
“人種論議は人間集団の分類法に行き着く。”
“分類法ないし分類学は、ギリシャ語の、順位、あるいは配列と配分を語源とするが、この場合は、分類上の一貫したケースを示し、生命体によく適用される。”
“諸集団のヒエラルキーが形成されると、成員の固有かつ固定した性格の認識、集団の類縁ネットワークが、二次元的スケールではなく構造的な関係図式を構成することになる。”
コメント20”平面ではなく三次元的な構造。”
“ヒエラルキーから人種分類への動きは、大量の情報収集を整理、仕分けし、簡明化する必要とその遂行能力の結果である。”
以上、4段階12ステップの展開の先にあるのが近代の人種思想。
本書で明らかにする。
これに先立つ数世紀間にヨーロッパで起きた知的進化の結果、あるいは当然と見られる論理的帰結。
カールリンネが「自然体系」の中で展開した人間の組織的位置付けは人種理論化の歴史で、画期的出来事。
#Grok3に聞いてみた
補足:人間の変種(Varietas)についてリンネは『自然体系』の第10版(1758年)で、人間を地理的・身体的特徴で4つの「変種」に分けました(現代では人種概念として批判されています):ヨーロッパ人(Europaeus):白、活発、発明好き
アメリカ人(Americanus):赤銅色、頑固
アジア人(Asiaticus):黄色、貪欲
アフリカ人(Afer):黒、怠惰
コメント21”リンネさんは御用学者なの?白人の人種差別を正当化する理論を打ち出した。傲慢なEU官僚が生まれる文化。EUの民からも有色人種からも恨まれる人類の癌系統。”
18世紀後半に他者に対する見方、簡単に言えば悪意に満ちた人種主義的見地が現れた。
1735年にこの4段階の展開が終わりになること、啓蒙時代以前の民族性から人種観が分かれていった。
“人間に関する知識が拡大し、集団間の相違に対する好奇心が増すと共に、搾取と支配欲を正当化しようとする前代未聞の衝動が、人種概念の急速な進化を促した。”
“この時代の終わりには、人種が集団の性格付与とランク付のシステムを具象化していた。これはリンネの後更に推進される。”
近世ヨーロッパの日本人観
日本人の集団的特徴、血で繋がった集合体の輪郭、身体的特異性、歴史上の起源、近隣諸集団との類縁性、地域およびグローバルなヒエラルキーでの位置。
その出店は、
旅行記、民俗誌、神学上の論文、聖職者の報告、通商上の業務報告、武力戦の記録、私信及び日記、白黒のスケッチや色彩豊かな肖像画
“ヨーロッパの人種主義に伴う人間搾取と大量奴隷化を正当化する倫理上の必要性が背景にあった。”
集団の地位に関する近世の決定要素
“人種思想は何故18世紀に急速に発展し、以後150年にわたって論議が続いてきたのか。”
その理由と背景
“大航海時代のヨーロッパ人は、人種上の初期的原則を適用し、展開段階を踏みながら、規模や特徴がさまざまな数十の集団について、似たような議論をしてきた。”
“近世日本には、注目に値する二つの側面があった。そのため、他とは違う論議になってくる。ヨーロッパ人は、初めて参考資料を見た時、この社会が文明、技術共に発展しているだけでなく、軍事的に極めて強大であると受け止めた。非ヨーロッパ集団で、この種特徴の結合を持つのは、極めて少なく、長期にわたってそれを維持しているとなると、更に稀であった。”
日本(中国)に対して17世紀まで高い地位を認めながら、その後二世紀の間に急速に低下した。
集団の地位は個人の場合と同じように戦闘や商取引といった任務の遂行に対する期待のみならず、任務とは関係ない全般的な期待にも至る。
“地位に対する尺度は、大半は暗黙のことで、必ずしも全体のコンセンサスがあったわけではない。しかし、地位を評価するために使われたさまざまな暗示は、力の程度と文明の水準に関するものと考えられる。”
力の概念
マックスウェーバーさん「ひとりの人間が、あるいは人間たちが、行動に参加しているほかの者の抵抗を排して、自己の意思を実現する公算」
トマスホッブスさんの著作「リヴァイアサン」で「将来の明確な利益を手にする現在の手段」「力の声価が力である」
“国の力のイメージは、主として過去の力の行使例、生得的好戦性、そして現今の情報(兵力、使用武器の技術水準など)をベースとした推測になる。”
“ヨーロッパの人種論議は、領土拡張期、植民地主義と帝国主義の時代に劇的に進み、ヨーロッパの力が絶頂期を迎えた時、頂点に達したのは何の不思議もない。”
力、そして特に相対的力は、他者に対する知覚の仕方、価値判断に影響を及ぼし、彼らが作り上げたヒエラルキーに、観察対象を当てはめていくことになる。
長い目で見ると、反他者の行動を誘発し、他者のイメージを更に汚し、独立した確固たる存在であることを否定し、最初に作り上げたステレオタイプに押し込む。
“日本人については、外部の強制に見事抵抗し、ヨーロッパ人が軍事上経済上拡大を続けた数世期間、国の独立を守り通したことほど、国の力を証明するものはない。”
“日本人は、強まるヨーロッパのヘゲモニーに挑戦し、かえって尊敬された。彼らの関する論議は、それで満ち溢れている。ヨーロッパの観測者たちは、日本人と他の集団との相違に関する鋭い分析の中で、尊敬心を表明し、高くなる一方のヒエラルキーに、日本人を当てはめる傾向にあり、大抵一番上に位置づけた。”
観察者に評価バイアスが生じた原因
教育レベル、職業、宗教上の信仰の度合い、個性
観察対象への評価のポイント
礼儀作法、内省的判断、日常会話のマナー、潔癖、衣服の着用、食事の作法
居住、家畜、食料の入手可能性
文化と教育では、音楽上の達成、識字能力、教育能力、仕事、規律
宗教では、一神教と聖典の存在、礼拝の洗練度、敬虔な聖職者
技術力では、工作用具の生産能力と使用、技術革新力のレベル、生産のためのインフラの存在
“全体的に見て、日本人種に関する論議は、近世ヨーロッパの人種論議の進化を示し、力とヒエラルキーそして地位のような人種観を形成するいくつかの要因の相互作用を物語るとともに、ケーススタディとして実に魅力的な事例である。”
日本人は力があり独立した存在として評価されていた。
それが変わった。
本書の目標
本書は人種に関する書。
人種概念の構築とその展開史研究に貢献する。
ヨーロッパ大陸外では大半がアフリカ人を対象とした。数量は劣るがアメリカンインディアン。
ヨーロッパ大陸内ではユダヤ人が対象。
これらの対象は大航海時代ヨーロッパ人が出会った、様々な集団全体を代表していない。
日本人は他の地域の人種とは全く異なる。
他の人種に支配されたことはなく、ヨーロッパおよび近隣諸国に
接触の仕方と規定を定め、それを守らせた。
軍事、文化、技術のいずれの点においても欧州に引けを取らなかった。
18世紀後半になって形成された新しい人類秩序では日本人、中国人、インド人をヒエラルキーから除外するのではなく、ヨーロッパ人を頂点とするヒエラルキーの下に位置付けた。
本書では事情を明らかにして、アフリカ黒人に対する近世の態度の変容、肌の色を黒と白に二分する考え方、そして、人種思想の勃興におけるアフリカ人奴隷の中心的役割を、強調する通常の方式を補足するものである。
“この研究は、ヨーロッパ人の日本との初期的出会いに関する、知的文化的歴史に新しい次元を提示しようとする。”
“私が注目するのは、地域の文明、民族性、力そして主導権に関するヨーロッパ人の論議、そしてそれが形成する認識、そしてまたそれが導き出す知的発展の流れである。具体的には、通商上宗教上の接触、力関係、文化上の評価、科学関連の交流では全体像を組み立て、それから見た日本”人種”の概念の起源と進化を追跡し、輪郭を描くことを意味する。”
“1980年代初めから、研究者たちは太平洋戦争の文脈で日本に向けられた人種憎悪の諸側面について、詳しく調べている。最近になると、太平洋戦争前後の半日人種偏見を研究対象にする者も出てきた。短期間出会ったが激動の日本帝国時代、日本政府が少数民族と植民地住民に対してとった政策と、そこにひそむ近代人種主義を研究する者、あるいは、欧米との接触の結果日本人の自己イメージが変容した問題について、調査している者もいる。しかしながら、ヨーロッパにおける日本に対する人種的思考の勃興、その歴史的背景とその源流について、十分に調査されたことはない。”
本書は日本特定ではなく、ヨーロッパ研究の側面がある。そして、未だ定まっていない欧米・日本関係の本質に迫る。
“他者、特によく知らぬ他者について封じる時、報告者は自分自身の感情、期待そして願望を投影し、更に自分の時代をはっきりと反映させる。”
ヨーロッパ人と日本人の当初の出会いでヨーロッパ人は日本人を観察しなかった。マルコポーロさんのように日本に直接行かず、直接観察せず、既に出版された書物から自分の日本人観を出版する者もいた。
“日本人に関する彼らの見解は、大半はヨーロッパのことであり、自分たちが徐々に構築した世界のことであった。”
“本書は非西洋人つまりヨーロッパ人から見た他人(簡単に言えば、”他者”)に関する近世ヨーロッパの論議、を扱う。・・・論理の知的および政治的背景を明らかにすると共に、観察者と観察対象者の相互作用を検討し、その成り行きとしての帰結の限界と誤信を分析する。”
コメント22”ここに記されていることはヨーロッパ人は歴史修正主義を好まないということ。これは、イエズス会の影響が大きいのだろう。著者は歴史を修正するつもりのようだ。”
本書には2つの研究対象がある。
1 ヨーロッパにおける人種とヒエラルキーに関する認識の広まりの結果としての、日本人による近代人種主義の展開。
人種自体の概念は価値判断で影響されなかった。それは、時代の自民族至上主義、民族的偏見、外国人嫌いを反映し、人間の階層的順位観を補強し、更に大きな差別を増幅した。出会いの早い段階でヨーロッパ人は反日人種主義の発芽が認められた。本書では近代日本人に向けられた人種主義の背景を示し、再三生じる問題の起源を明らかにする。
2 日本人自身の間に広がった人種思考の問題。
西洋が日本人を人種の目で捉えたことが、日本人の自分の位置観に影響した。19世紀後半日本近代化の30年に重大な意味を持った。20世紀に入って数十年、人種パラダイムの選択が日本の民族的態度に影響した。日本における個人および集団の意識には、最初の受容と後の拒否の間に形成された、人種概念に対する国民の態度が、残滓として見られる。
全体の前提
本書の各章で検証し、立証しようとする前提を次に列挙する。
1 人種概念は、民族誌上の知識を、地位の枠組みの中で一貫した形に組織化するシステムである。(搾取, 支配)
2 近世集団の位置とヒエラルキーは、集団の総体的文明レベル、潜在的影響力、技術の開発力と使用、そしてその結果として集団に認められる地位によって決まる。
3 人種主義は、他の集団成員に関する、一般化した、そして多くの場合ネガティブな価値判断であり、いかに初歩的で限定的であれ、人種論議上不可分の要素の構成要素である。
4 人種論議の基本として明示される人種概念は、その発端から、日本および東アジアに関する幅広い論議の構成要素であった。
5 日本人に関する人種論議は、啓蒙時代以前の人種論議に特徴的な段階を、すべて踏んで進行した。
6 近代人種論議では身体の特徴が重視されるが、他者に関する視覚イメージの不足と、身体の外見をベースとする集団の区別が可能になる分類用情報が制限されていたため、当時の論議、特に日本人に関しては、身体の役割が比較的小さいのが目立つ。
7 日本人に関する人種論議の急速な展開の背景には、世界的なネットワークを有する大規模組織の介入が、指摘される。それは情報収集に積極的で、知識の蓄積と共有を可能とするメカニズムを持っていた。
コメント23”死の血盟団の関与を示している。銀行家による情報収集と植民地化計画。”
8 人種論議は、驚くほど継続する傾向がある。論議する者が、最初の観察報告を繰り返し使用し、それに継ぎ足しをしていく傾向があるからである。特に際立っているのが日本人論議で、継続性が強い。
9 人種論議は延々と続く傾向があるが、一方、この時代とその後の日本人に関する人種的見解で生じた漸進的変容は、全ヨーロッパ的自己認識と尊大な自己評価的感覚の典型に他ならなかった。
10 日本人に関する論議は、他の東アジア人論議とともに、近代人種概念の登場に、大いに寄与した。それは、近代の概念が他者に関する近世ヨーロッパの論議の一帰結という意味で、人類に関するヨーロッパ人の視野を拡大し、その階層的順位を明確にすると共に、技術的達成、科学的知識そして軍事力を強調するものである。
11 日本人に関する論議は、他の東アジア人論議と共に、ヨーロッパ人を頂点に置く階層的人種世界観の構造を遅らせた。一世紀前民族誌的情報は十分入手可能であったにも関わらず、遅れたのである。
コメント24”著者は東アジア人の特異性を示している。東アジアの大陸と半島は王が入れ替わる歴史があった。日本は領土を守り拡大する王を必要としない地政学の元進化してきた。この事実を組み込んだ研究成果なのかに興味がある。”
本書の情報源と組織
近代の知識から前近代および近世ヨーロッパの人種論議を探求した。
近世日本の探究には2つの障害がある。
1 論議の作者
時代によって日本人が渡来を許可する対象が変化していた。ポルトガル商→イエズス会→オランダ商館職員特に医師
記録した言語も変遷。(ラテン語、イタリア語、中世フランス語、ポルトガル語)→(ポルトガル語、ラテン語、スペイン語)
2 論議の境界
それまで未知の地域だった日本。ヨーロッパ人との関係はあったが太くなかった。この時代の日本人に影響を与えた様々な周辺の文化への理解が必要となる。
資料の有効活用法
1 様々な資料から一つの論議を形成する
2 変化に転換する交替プロセスを指す。
日本人に関しては一貫した情報源はなく細切れの情報をつなぎあわせる。日本人に出会うまでの人種と日本人があまりにも異なったため、ヨーロッパにおける人種論議が大きく変化せざるを得なかった。
ヨーロッパにおける日本人観の変遷
第一の局面 推測 中世後期(1300年頃ー1543年) 日本人観の誕生。マルコポーロからクリストファーコロンブスへ。どちらも日本人に出会っていなかったがヨーロッパ人の心に火をつけた。最初に日本人に出会ったヨーロッパ人はポルトガル人、1498年。この頃の日本人は白人。この頃、ジパングと日本は分かれていた。30年以上経って同一化された。
第二の局面 観察 1543年ー1640年 ポルトガル人貿易商、イエズス会宣教師の到着、ほぼ1世紀後に追放で終わる。当時の記録は日本人は極めて高い文明を有し、肌は白色。日本人論議を独占していたイエズス会から、その後、スペイン、イギリス、オランダと続いて日本人論は全ヨーロッパのプロジェクトとなった。非ヨーロッパ人で最初のキリスト教徒は日本人。
第三の局面 再検討 擬似鎖国時代の最初の世紀(1640年ー1735年)。リンネの分類学出版「自然の体系」の影響。中国と日本はオランダと英国の要求にノーと言える数少ない国の一つだった。徳川幕府との通商はごく限られた東インド会社職員のみ。論議の大半は現実離れしていた。当時、日本は実力行使能力を拡大中。ヨーロッパは非ヨーロッパ人を見下す傲慢と自信過剰を強めた。この時、植物と医学が新たなパラダイムを形成。エンゲルベルトケンペルさんが日本人の外観と起源について報告。類が無い不完全な内容。
リンネさんがアジア人を二等の地位を貶めた(1735年ー1758年)。日本人もそこに一緒に押し込まれた。18世紀の終わり、多数の学者がリンネさんの説に手を加えて影響力のある概念に変えた。ヨーロッパの膨張と急速な工業化に同期。19世紀のヨーロッパは植民地をアジアにも拡大し、これまでにない最強の存在となった。1854年リンネ論から約100年後ペリー艦隊が日本に迫って開国。これは緩やかに進む位置再配置の最終段階だった。
むすびー近世ヨーロッパにおける人種論議と日本人のケース
“1735年、カール・フォン・リンネが、初めて分類学の書「自然の体系」を発表した時、ヨーロッパの教養ある人間は、まだ日本人を色白、力があり、尊敬に足る文明人、と考えていた。彼らは、日本人、いやほかの東アジアの人間も、絶対普遍の劣等人種に属するという説には、まだ考えが及ばなかった。ヨーロッパ人たちは、19世紀後半になって、日本人は黄色で概ね劣等人種の典型、と見做すようになる。その理由を理解するには、本研究のプロジェクト第二部における、考察と解明を待つ必要がある。”
“日本人に関する1735年以前の考察は、大いなる顛末を例証する、魅力あるケーススタディを我々に提供してくれる。”
“特にこの人種概念には、観察者と観察対象者である他者の間に、一定の接触と相手を熟知する関係を必要とするが、推測局面(1300年ー1543年)では、日本人に関する言及は、単に憶測に過ぎず、本当の論議とは言えない。この段階の終わりまで、ヨーロッパ人で日本人に接触した者は一人もおらず、その日本人像は、少数のヨーロッパ人が伝聞に基づいて水素臆した想像上の人間にすぎなかった。”
“事実、次の段階で、日本人に関する考察が全面的な人種論議をたちまち作り上げていく。その論議の展開は極めて迅速で、1世紀足らずのうちに、近世の人種論議の全領域を網羅することになる。”
“最初の推測局面においては、初期局面で行き詰まり、停滞したが、「観察局面」(1543年ー1640年)で加速し、第二、第三へ進み、更に数十年以内に第四段階(ステージ)に到達する。”
“更にそれは、色白の肌、節度ある生活態度、優れて礼儀正しい挙措動作を指摘し、全体的に日本人の文化と性格に対する積極的な評価がなされ、地域内のヒエラルキーでトップに位置付ける傾向が見られる(ステージⅢ)。1580年代になると、ヨーロッパと並ぶグローバルヒエラルキー上のトップに位置付ける試みさえあった(ステージⅣ)。
“リンネの書「自然の体系」の初期版は、ヨーロッパの日本人論議を一新し、この点で分岐となり、近世の日本人論に終止符を打った。”
“これ以降、日本人論議は、他者即ちあまり尊敬されていないしゅうだんに関する論議を反映するようになる。この種の集団のネガティブなイメージが日本人に投影され、そのインパクトは明らかであった。”
“人種思想の最終構築が、18世紀の産物であるのは、間違いない。広汎かつ階層的な自然の体系の中で、人類の位置を強調する構図である。それでも、この概念考案は、”西ヨーロッパ産業の近代性の基本的側面”の一つ、と論じる向きがあるが、そうではない。それは、大航海時代の結果である。近世におけるヨーロッパの海外進出と拡大、そして啓蒙運動として知られる知性と文化の新しい運動の始まりの結束であった。”
コメント25”大航海時代(15世紀から17世紀)は植民地主義の始まり。リンネの書は人種差別を正当化するために意図的に編纂された可能性がある。”
近世人種論議のメカニズム
“日本人との接触が確立すると、ヨーロッパ人の現地住民に関する人種論議が始まり、たちまちはずみがついた。”
“近世の人種論議は、多数の参加者に依存しただけでなく、既得権の大きいネットワークに組み込まれた人間に便宜を与えた。日本人論議をよく見ると、この国に関する直接情報の圧倒的多数は、相当大きい組織の所属員が記録したものである。大半が宗教団体のメンバーと商館関係者で、各自その職務の範囲で書いた。もっと端的に言うと、日本列島に駐在するイエズス会伝道者の小さい集団が、少なくとも初期段階で、論議の形成に相当関わった。・・・このイエズス会宣教師と、時間的に少し遅れてやってきた一握りの東インド会社職員のおかげである。・・・研究者ジョナサン・フランゼンは「しっかりと文字で書き留め、記録に残そうとする意思は、我々が我々の生物相よりも大きい存在であるという確信に近い」と指摘した。・・・我々が目撃しているのは、新しい組織的行為と意識の登場である。”
“日本に来たイエズス会宣教師とVOC(東インド会社)の職員は人数は少ないが、共に巨大な組織を背景にしていた。・・・彼等が持つ重要なカギは、双方の類似性にあるようである。二つの組織は、それぞれが数千人のメンバーを擁し、共に巨大な多国籍事業体である。それぞれ数大陸にまたがるネットワークを有し、指導部もそこにある。代表がヨーロッパ人で、補助役(そして下働き)の下級職は現地住民である。更に二つの組織は、現地住民を支配し統制することに努めた。前者は、住民の心を、後者は財布を掴むのに躍起であり、周りの環境を自分たちの目的に沿うよう、別の概念で作り変えようとした。その意味で、イエズス会とVOCは、人種問題で驚くほど意見を同じくした。日本に対しては勿論である。東アジアに関わる民族文化の情報についても入手するのが、共通の基本的姿勢であった。”
“二つの組織の間で支配的であったメカニズムも、重要であった。双方共に、日本そしてこの東アジア全般における長期的な目的を持ち、情報収集、知識の蓄積、そしてそれを整理した形でメンバー間に伝え知識を共有した。更に、献身的で教育のある人物を、財政負担に耐えながら一カ所に長期滞在させて、情報収集に当たらせた。”
コメント26”過去にサムスンが社員を世界各地に派遣して現地の文化を理解してその地にあった商品使用にして販売する経営を実施しているとの情報があった。手塚治虫さんの漫画火の鳥に、太古の日本に流れ着いた異人を村で助けると定住して村の娘と結婚した物語があった。この物語はのちに、流れ着いた男の種族が彼の手配で上陸し、その集落を乗っ取った。この男は自分の種族は流れ着いた先の種族と和睦を結ぶと聞いていた。結局、妻と妻の弟と村から逃げ出した。”
“個々のメンバーは、比較的限定された視界しか持たないが、二つの組織作り上げたネットワークは、その問題を克服し、視界はずっと広がった。”
“確かに情報収集力の点で重要な存在で、国家がまだ基礎固めの過程にあって、国家組織も整っていなかった時代に、近世ヨーロッパにおけるダイナミックな人種論議を生み出すためにあ、このような巨大かつ任務指向型の組織が不可欠であった、と主張する向きもあろう。
“この二組織そして同種の機構が、近世ヨーロッパで科学的活動の促進のみならず、その海外への伝播に果たした役割については、以前から研究者が注目している。例えば、スティーブン・J・ハリスは、特にイエズス会の海外活動に注目しているが、VOCやスペインの通商院、同じくスペインのインディアス枢機会議を近世の遠隔操作事業体とみなしている。彼のテーゼは、ジョン・ローとブルノ・ラトールによる初期の研究をベースとして構築されている。二人は”遠距離統制”の概念を導入したことで知られる。ローは、ポルトガルがアジアの香料取引で示した驚異的な成功を分析し、この概念を定義し、その諸要素を特定した。一方ラトールは、統制メカニズムと遠隔ネットワークの機能の仕方を調べた。特に、彼等の情報集積のサイクルに関心を抱いた。ハリスは、遠隔操作事業を、”遠隔ネットワーク操作を多少なりとも習得し、情報の収集と知識の集積、そして知識の産出メカニズムを取り込んで構築された組織”、と定義した。”
イエズス会は近世の遠隔操作事業体の見本。
宣教師たちは布教のみならず、学術的調査資料を作成した。
ハリスさんは「イエズス会の遠隔ネットワークは、組織を提供する。更に額のある宣教師には、調査の正当化を与えた。時代は近世、学術上多方面に及ぶ諸部門へイエズス会が参入するには、それだけの意味がある、としたのである」と述べた。日本でも同様。
現代のイエズス会系研究者は学術的研究への貢献を強調し、近世ヨーロッパにおける人種イデオロギーの展開に果たした役割を無視する。
最近イエズス会の指導的研究学徒が、「イエズス会の国際主義は、ポルトガルの人種的ヒエラルキーと差別の力に、打ち勝つことはできなかった」と主張した。
イエズス会は日本のようにポルトガルの国力が影響しない地域ではポルトガル政府の意向を実行しないが、政府が支配している地域では植民地政策を支援し、差別的政策を支持した。
イエズス会は結局、国際組織にはならずヨーロッパ人の純血主義を貫いた。イエズス会が固有の差別政策が続いたのはポルトガルの圧力ではなく組織の性格が原因であった。
VOCに関する近年の研究も、人種論議に対する組織のインパクトに目を瞑り、学術的貢献を強調、海外における人種主義に触れない。人種差別があったわけではない。非ヨーロッパ人に重要な役割を与えず、完全な支配圏では人種的ヒエラルキーをベースとした社会をつくり維持した。組織は民族誌的な情報を収集して、整理分類。この情報がヨーロッパにおける人種的世界観の構築を助長。

“人種に関する理論的枠組みが、第一段階から第四段階へ拡大するとともに、主として民族誌、そして礼節にまつわる違いに依拠した考察に加えて、生物学的教義が取り込まれた。
16世紀の日本でイエズス会が伝導上成功する決め手になったのは通商と精神性。宣教師が環境に適応し科学ではなく民族誌上の情報収集に集中した。したがって、ステージⅣ以降の論議には推進力を持たなかった。
VOCは地域限定の活動だったので世界規模の民族誌的比較を提示できず。通商に通じ植物学、医学に通じた職員専門家もいたので、論議をステージⅣ以降に発展できた。
結果的に欧州全体としてイエズス会とVOCの組織の間で橋渡しができた。
(イエズス会, VOC)のアジア事業の目的は他のヨーロッパ系組織や個人が共有していた。
コメント26”(イエズス会, VOC)は死の血盟団の偽称組織である。ここで示された活動、そして、欧州の人種思想そのものが死の血盟団の目的と合致する。イエズス会はイタリアで体系的な学校組織を運営していた。数学を権威の象徴とし、地域の名士の子息が通っていた。科学を体系的に整理していた。日本においてイエズス会が科学の体系を伝播しなかったのは信者の増えることが期待できなかったから。”
人種理論の形成は組織の外で働く者の役割だった。
・ゲオルギウス・ホルニウスさん(歴史、地理学)
・フランソワ・ベルニエさん(医師)
・リンネさん
勿論、二つの組織が収集した情報を活用した。
日本人に焦点を合わせたヨーロッパの人種論議が国家と党派的相異を超えた。
歴史家ディオゴ・ラマダ・クルトさんは「18世紀のヨーロッパでは、グローバル規模で社会を考え、それを代表する手段としては、恐らく宗教よりも通商の方がもっと重要であった」と指摘。本書ではこの指摘を立証する。
欧州に他者に関する知識と見解に貢献したのは通商や宗教そのものではなく、それを促進した遠隔操作作業体である。
グローバルな規模で社会を考え、それを代表するに至ったのは欲求と能力が組み合わさったから。行動上であった様々な集団の相違について、知識を蓄積し、諸集団の統制、目的遂行を促進する社会秩序の維持手段を用いた。
コメント27”通商が手段となったのは文化を攻略する手段として物欲が効果的なことが分かったから。その後、お金に対する物欲を刺激して、諸集団の統制、目的遂行を促進する社会秩序の維持手段を用いてきた。債務貨幣制度、ダボス会議、自由貿易。この体制は搾取する圧倒的少数と搾取される圧倒的多数の構図を創った。この構図が18世紀 マリーアントワネット夫妻の斬首、20世紀 ニコラエチャウシェスク夫妻の処刑を導き出し、21世紀 ?のリスクを高めている。このリスクの渦中にイルミナティ三百人委員会がある。”
近世ヨーロッパにおける人種の本質
ローカルからグローバルへー近世人種論議に対する日本の寄与
人種とヨーロッパ例外主義の問題
まとめそしてプロローグ
訳者あとがき
おわりに=Outcome
本著の調査結果が正しければ二枚舌外交というよりは似非科学。ロックフェラー医学以降、反社会性パーソナリティ障害(DSM-5の定義による)が企業社会主義(暗殺を含む武力, 債務貨幣制度, 株式制度)を体制化しながら極少数による圧倒的多数(搾取, 支配)を推進している。反社会性パーソナリティ障害は強度の持続(恐怖, 不安)によって形成するとされる。この障害は個物身体よりも共同体身体を(恐怖, 不安)にしてその解決策を提供して依存体質(ストックホルム症候群)にする。時間的経過を追えばマッチポンプになっている。(COVID19事件, mRNA製剤)(第一次世界大戦, 軍産複合体)(第二次世界大戦, 軍産複合体)
18世紀 マリーアントワネット夫妻の斬首、20世紀 ニコラエチャウシェスク夫妻の処刑、21世紀 ?
本著で得た情報を世界を席巻している戦争文化から人類を平和文化に回帰する活動に役立てたい。
変更管理
20251029 本著P.33まで通読、P.19途中まで記録
20251030 通読なし、P26途中まで記録
20251031 通読なし、P29途中まで記録
20251101 本著P.34から通読しながらP.48まで記録
20251101 本著P.49から通読しながらP.54まで記録
20251105 本著P.55から通読しながらP.60まで記録、P.386からP.407まで通読
20251106 本著P.408からP.409まで通読
20251108 本著P.410からP.430まで通読、P.386からP.388途中まで記録
20251109 本著P.388途中から
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