学習の記録 円の支配者(2001)
2025/12/30
2025年12月7日開始
人類から(債務貨幣制度の海に浮かぶ企業社会主義バブル)を切り離そう!
リチャード・A・ヴェルナー(Richard A. Werner)著, 吉田利子訳, 円の支配者(Princes of the Yen), 草思社(2001)
はじめに=Background
本学習の記録は人類の戦争文化を人類本来の平和文化に回帰するためのコミュニケーションツール。
本日(20251207)、独立系ジャーナリストのタッカーカールソンさんが出演しているショート動画を視聴。
こちらは、本著を元に制作されたドキュメンタリー。
Independent POV, 円の王子様:中央銀行の真実ドキュメンタリー(2014/11/05)
対談の相手はリチャード・A・ヴェルナーさん。
対談の内容が日本のバブルの崩壊は、意図的に実行されたこと。その主体が日本銀行であるとの内容だった。
そこで、ヴェルナーさんの著作を調べて標題の書籍を見つけた。
昭和の最後、日本人が体験したバブルの崩壊。
この事件と(債務貨幣制度の海に浮かぶ企業社会主義社会のバブル)との関係を推論する。

成果=Output
表紙裏のはじがきより
「政府が景気回復に向けて必死の努力を重ねていた時、なんと日銀は信用を収縮させ、景気の回復を故意に遅らせたのである。」
はじまり
大蔵省落城
構造改革
平時の日本の歴史において目にあまる経済政策の失敗は大蔵省にあるのが一般的な見方。1980年台のバブルの崩壊と1990年台の長期不況。
1990年台日本の中央銀行の幹部はほとんど毎日アメリカ流の資本主義の導入を唱える。日本流の資本主義を捨てる必要があるのか疑問。
1990年台の不況時より1980年台の経済体制の方が閉鎖的。50年台、60年台もそう。同じ構造でも成長率は高くも低くもなる。
本書では不況はお金の量が原因であることを示す。すなわち、バブルの崩壊とその後長年続く不況の原因は日本の中央銀行、日本銀行にある。
経済構造の改革論者が日本でお金を支配していた当人だった。
日銀は日本の市場にお金を供給しなかった。
日銀は資金需要がなかったと主張。これは嘘。政府部門は財政支出を賄うお金が必要。日銀は主としてお金を注ぎ込んだのはごく狭い短期金融市場。ここには銀行のみがアクセスできて、企業、政府は手を出せない。不良債権の重荷を背負った銀行は規模が大きくてリスクの低い借り手にしかお金を貸したくなかった。したがって、中小企業にはお金が行き渡らなかった。
2001年3月19日 思い切った(量的)金融緩和 銀行の準備預金を4兆円から5兆円に増額を約束。これは日本経済に何の益もない。経済に回るお金は増えていない。
「日銀は必要と判断したら長期国債の買い入れを増額」 高い失業率を記録したこの10年、日銀はいつでも国債の買い入れを増やせた。日銀はそれを必要とは判断しなかった。
「政府の強力なリーダーシップの下で、痛みを伴う構造改革が必要」
コメント1″痛みを伴う構造改革とは中小企業の廃業。これは、COVID19事件における経済活動自粛要請による中小事業者の廃業、インボイス制度による中小事業者の廃業。漁業や農業の補助金カットによる中小事業者の廃業。その後に株式会社が参入できる法律に変えて外資が市場に入り込み、日本人を安い労働力で働かせる。米国における企業の利益の9割以上が株主に渡す法律改正に日本も追随している。”
現実に目覚めよう
デフレが広がることで金融政策が長期不況の原因だと気づく人が増える。
十分なお金を創り出して実際の成長率を潜在成長率に近づけてインフレにもデフレにもならないようにするのは中央銀行の仕事。
日銀はデフレは好ましいと主張する。お金を創りデフレギャップを縮小させることが可能。
日銀は無能。人類史を振り返ると過去の信用収縮に起因する危機を乗り越えている。
2001年現在、中央銀行には過去より多くの選択肢がある。企業のコマーシャルペーパーの購入。政府にお金を貸す、債券をもっと買う。不動産を買って公園にする。お金を市民に配る。これらは国内の購買力を増す。
傲慢な日銀
日本は1990年台を通じて高度成長できたはず。日銀が望めば。
「大事なことは、一時的な経済成長率の引き上げを目指すのではなく、腰を据えて構造的課題の解決に取り組むことではないかと思います。」
政府の蔵相や首相のお金をもっと発行する要望に日銀は拒絶。
90年台、政府が景気を回復する試みを積極的に妨害。
1995、1997、1999年の重要な節目で日銀は経済に流通するお金を減らした。政府の通貨介入政策は効果を失い、円高に振れて景気回復の芽を潰された。
日銀のせいで日本はどの先進国よりも多額な債務を抱えることになった。
1998年3月31日まで施行されていた旧日銀法第1条は中央銀行は政府の政策を支えなければならい。つまり、日銀は違法な組織。
不況を長引かせてきた張本人が1980年台のバブルを生み出した。
1992年日銀研究員「もっとたくさんのお金を作ったら、景気は回復するでしょう。だが、それでは何も変化しないでしょう。日本の構造問題は解決しないのですよ。」
日銀の興隆
2000年の大晦日、大蔵省は敗者、日銀は勝者。新たに設立された金融庁には日銀OBがいた。金融政策を大蔵省から分離して金融庁の権限に。
1997年、橋本首相の行政改革に日銀法改正が含まれていた。新日銀法は国民のためにならない。著者は日本の国会議員にメッセージを送り日銀法改正反対の主旨を伝えた。どの党も改正に賛成だった。衆議院を通過後、共産党だけが参議院で反対。
政府は金融政策をコントロールできなくなった。
2001年の初めに株価が下がった。多くの政治家は日銀総裁の退陣を迫った。
速水総裁「雇用調整、人員の再配置など、いずれも、これまでの経済や社会の仕組みの見直しを迫るものであります。その過程では様々な痛みが伴うことは避けられません。」つまり、日本人は終身雇用を諦め、雇用の不安定化という現実に直面すべきだと主張している。
一方、日銀総裁の雇用は安定している。本人が自発的に辞任しない限り、政府は首に出来ない。新しい日銀法では中央銀行は健やかな経済成長を達成すべきと記されていない。
日銀を立ち入り調査する権限を政府は持たない。日銀は法律を超越し、民主的機関を超越している。景気が良くなる悪くなるを決定するのは政府ではなく日銀。
セントラルバンカーとは何者か?
日銀総裁は表の顔。真の運営者の看板。
日本の最高職、日銀指導者は次期総裁予測に不確定要素はない。
速水総裁の次は福井総裁。
遡れば、三重野総裁、前川総裁、佐々木総裁もマスコミの予想通りだった。
本書ではこの四人には多くの共通点を明らかにしている。全員揃って経済同友会で主導的な役割を果たした。経済同友会は1970年台から日本の経済構造を根本的に改革すべきと主張してきた。
支配者たち
日銀総裁が選ばれる過程は不透明。日本国民はその理由を知らない。日銀総裁は王位継承者。日本の不況が長引いたのは偶然ではない。政策の誤りが続いてせいではない。バブルの生成も偶然ではない。アメリカは金利を引き上げ、バブルを回避するように言ってきた。しかし、日銀はそれをしなかった。支配者たちの計画にバブルの生成は必要だった。
背後に蠢く黒い影
戦後50年間、日本の首相は26人。この中で経済の核心、すなわち日本の通貨を支配していた人物の数はずっと少ない。表に出てこないセントラルバンカーが日本の戦後史を画する重大な出来事を形作ってきた。
大蔵省が戦後日本の経済体制を維持しようと腐心している時、日銀は大蔵省に従属的な地位だった。中央銀行は1920年台日本に見られたアメリカ流のの自由市場体制を復活させ、大蔵省から自由になろうとしていた。この当時でさえ、法的には大蔵省優位だが、実質的には中央銀行の持ち札の方が強力。法律外の信用統制メカニズムを握っていた。企業、産業全体の、そして、大きくは経済全体の生殺与奪の権があった。戦後日本を支配した5人のプリンスたちは伝統的な金利政策という煙幕の陰に隠れ、誰も責任を負っていない。
プリンスたちは大蔵省の強大な法的権力を覆すには大規模な危機しかないと考えた。大蔵省の責任だと非難が集中する危険。この10年計画を1986年から10年計画を実行。貸し出しを大幅に増加することを銀行に指示。中央銀行からの厳しい処罰の脅し。銀行は従った。バブル生成の責任は不動産投機家と銀行、大蔵省。1989年、プリンスたちはバブルが十分に大きくなったと考え、信用統制をきつくした。経済の崩壊。1990年台、プリンスは景気回復の政策を妨害、1930年台以来の深刻な不況を長引かせた。
プリンスは失業の増加、不況のせいで記録的な高さになった自殺率も意に介さず。12年間で達成。1998年大蔵省解体。日銀は独立。強大な権力は合法。ビッグバンと呼ばれた金融改革は日本の経済構造を変質。アメリカ流の経済体制が導入されつつある。
どうすればいいのか
日銀の権力が放置されればいつまでも景気を後退させる。
本書は中央銀行の役割に関する幅広い議論が起こり、日銀の過去の政策と意思決定について、司法関係者を含めた独立した委員会による精査が行われることを願う。立法府の議員には日銀法改正が過ちであることに気づいてほしい。直ちに日銀法を再改正して、国民から選出された代表者が金融政策の舵取りを行うべき。そうすれば意図的な不況の長期化は防げる。
暫定的な政策は議会が日銀が達成すべき国内総生産の名目成長率を設定し、それを達成できない場合日銀のトップ1/3をクビにする。これは速水総裁が主張した衆院雇用廃止、実績に基づく労働市場を導入する構造改革を日銀が実行することになる。
プリンスたちは大幅な構造改革を実行し、自らの法的権限を拡大するために経済を大混乱に陥れた。これは国民の利益になっていない。
第1章 マネーのプリンスたち
日本の新時代の幕開け
近代日本は社会システムに根本的な変化が2度起きた。
19世紀末明治時代、1940年の戦争と敗戦
戦後復興は量的な変化であり、それ以前に確立されていた経済的、政治的機構に変化はなかった。
日本は2001年、アメリカ型の自由市場経済に移行しようとしている。
バックトゥザ・フューチャー
これから突入するアメリカ型自由市場経済はかつて日本も1920年台に経験していた。
ところが、戦後の日本はまるで正反対の体制になっていた。厳しい規制、競争を制限するカルテルと系列、銀行融資と株の持ち合いによる株主権力の低下、企業買収は皆無、終身雇用と年功賃金で労働市場は凍結状態。
自由市場のみが反映するという理論に反した日本の経済発展の謎を解明しようとしてきた。
戦時経済
日本を変えたのは産出高の最大化を目指す戦時経済だった。
日本企業は1940年台初めからずーっと戦時体制。冷戦の始まりと共にアメリカは日本の戦時体制を維持して戦争中のエリートに権力を握らせた。
ドイツの戦時経済担当相は戦争犯罪人として死亡。一方、日本では同じ地位にあった官僚は首相となり、弟と共に12年も重要な時期の日本を支配。資源の迅速な動員のために作られた戦時の「総力戦経済体制」を完成。この強化をアメリカは選択した。
日本経済を支配してきたのは(産業界, 政治家, 官僚)のゴールデントライアングルではなく(大蔵省, 通産省, 日本銀行)という小さなトライアングル。
日本銀行はこの小さなトライアングルの中で隠れていた。本書では日銀が実は権力を持ち、利用、乱用してきたことを示す。
高度成長を実現した政府介入
現在の有職者にとって経済的成功と自由市場経済は同義語。途上国は(世界銀行, 国際通貨基金(IMF))から(自由化, 民営化, 規制緩和)による経済開発を要求される。
コメント2”ここに示されているのは新自由主義の主張。日本ではバブルの崩壊が政治の責任だと言われていて、日銀責任説はこれまで聞いたことはない。私の推論、(債務貨幣制度の海に浮かぶ企業社会主義社会のバブル)がバブルを生成し、バブルを崩壊し、外から日本市場に参入できない構造を変えた。その債務貨幣経済はドルのデフォルトにより崩壊しそう。ここには示されていないがBISが世界銀行とIMFの上位にある。”
東西冷戦の終焉は共産主義国家の経済体制に自由市場体制が勝利したという文脈で語られるが、日本経済は自由市場のお陰で世界第2位の経済大国になったのではない。これは競合するもう一つの資本主義経済体制が存在することを意味する。
コメント3”米国の資本主義は戦争文化の経済。日本の資本主義は平和文化の経済。米国の市場は軍需産業が牽引した。これは今の中国にも当てはまる。どちらも貧富の差を拡大する。一方、日本の平和文化の経済はみんなで裕福になる経済。これは戦争文化が導き出した経済の体制による帰結ではない。”
日本の経済は計画経済国家と違ってミクロの経済運営ではない。戦時下の日本の官僚は高度成長に最適な構造を目的として制度的構図を作った。そこに介入。政府介入は組織的構図作りでは上手くいくが誰が勝者になるのを決めることはうまくいかない。
制度の構図
戦時経済の指導者は大企業の創出を促した。大企業の利害関係者(経営者, 株主, 従業員)のうち、高度成長を目指す為政者の目標にぶつかるのは株主。株主を排除し、経営者の地位を向上。企業組合、年功序列、終身雇用で従業員を動機づけた。
コメント3”従業員の動機づけは社会主義に近い。企業組合は資本主義の産物。ただし、同じ仕事をしているのに給料の多少が起きることへの納得感を醸成するのが難しい。これは年長者を敬う文化によってコントロールした。”
株式の持ち合いは経営者を株主への配当優先圧力から解放した。
国内は熾烈な市場獲得の競争をカルテルで抑え込んだ。しかし、カルテル内のシェア争いはあった。海外には競争を制限するカルテルはなかった。1960年代ー70年代の米国では自由貿易の結果、有数な企業が駆逐された。欧州では米国ほど自由貿易に囚われていなかったので日本企業の参入を制限し、日本企業はそれに従った。
コメント4”日本の高度成長は市場競争をカルテルで抑え込むことで均衡ある成長が可能だった。これは、逆に新規参入の企業が入り込む余地はなかった。生産管理が成熟した業界はその科学知識技術を各地域に開放し、各地域の住民が生産の主体になれば、地域自給自足と一人一人の地域住民の自由時間を最大化できる。それで、結婚可能経済を安定稼働すれば、地域の社会的共通資本は継続的に蓄積され、外部からの参入は不要となる。”
成功の高い代償
戦時経済体制は急激な経済成長の目標は達成したが、労働者側の福利は少数の大企業従業員に独占された。労働者の2/3を占める中小・零細企業は終身雇用は安定せず、社宅、福利厚生施設は少なかった。労働者の生活の質は総じて低い。日本型システムは富の平等を齎し、社会的一体制が強まり、平和と安定をもたらした。日本の犯罪発生率の低さは世界の羨望の的。自由主義を導入して見えざる手による成長実現を待つより。日本の戦時経済体制を取る方が、多くの開発途上国にとっては良い事かもしれない。
ヒトラーの支配ツール
日本経済における介入の大半は市場を相手にしていた。しかし、強力に直接介入に使われたツールがあった。それはマネー。戦時下の官僚たちは、通貨とは何かを理解していた。どう使えば経済の全領域を支配できるのか。日本の戦時経済の指導者たちは、ヒトラー政権のセントラルバンカー、ヒャルマールシャハト総裁の影響を受け、信用創造を最強のメカニズムに変容させて全体支配を実現。
窓口業務
戦時下の官僚による信用統制は法的根拠のない日本銀行の「窓口指導」(1960年代までは窓口規制)「指導」は中央銀行が厳しく強制する信用の直接配分。日本経済成功の核心。韓国、台湾も戦時中導入したシステムを戦後の指導者が引き続き活用。強大な大蔵省、法的に従属する日本銀行の派遣争い。窓口指導はその手段に。金利政策決定権は大蔵省、量的政策は日本銀行。日銀自らが金融政策に役割を認めず、瀋陽統制による量的政策が効果的ではないとした。1970年代、君臨するのは大蔵省、支配しているのは日本銀行であることに気づく識者はほとんどいなくなった。
第2章 戦時経済
第3章 戦後、いっそう強固になった戦時経済体制
第4章 銀行業という錬金術
第5章 信用創造ー経済の総司令部
第6章 窓口指導と日本の覇権をめぐる争い
第7章 実験ー日本の最初のバブル経済
第8章 マネーのミステリー円の潮流
第9章 円の大幻想ー信用のバブルとバブルの崩壊
第10章 不況を長引かせる法
第11章 大蔵省と日銀の「バトル・オブ・YEN」
第12章 銃の引き金を引いたのは
第13章 円のプリンスたち
誰が日銀の政策を決めるのか
「1989年6月、窓口指導で急激な引き締めを行なってバブルをつぶし、90年代の不況をもたらしたのは日本銀行だった。不況を長期化させたのも日銀である。92年か93年に適切な景気浮揚策をとろうと思えば取れたのに、ほぼ十年間手を打たなかったのだ。また、90年代の危機の最終的な原因も明らかとなった。80年代のバブルを生み出した窓口指導の信用統制メカニズムである。これもまた、日銀によって支配されていた。日銀の政策が過去15年間の出来事の原因だったことは疑いない。それでは、日銀の政策を決めてきたのは誰か?」
大蔵省は窓口指導に何ら影響を持っていない
「金融政策は日本銀行が実施するが、大蔵省は法律によって監督権限を与えられている。」
法的には日銀の最高意思決定機関は製作委員会
「製作委員会では、日銀スタッフで構成され、総裁が議長を務める日銀の理事会の決定をそのまま了承するだけであったことは、周知の事実だ。」
日銀は大蔵省に君臨させたが、統治させなかった
「1980年代でさえ、大蔵省は一度も日本経済を動かす最も重要な手段をその手に握ろうとはしなかった。窓口指導の意味を認識していなかったからだ。」
中央銀行は長年煙幕を張っていた。窓口指導は銀行との非公式で自発的な協議プロセスであり、政策手段とせは効率的でないと主張した。
「大蔵省は金利には影響力を振るっていたから、金融政策を支配していると誤解していた。」
「「大蔵省の命令権が実際に発動されたことはないし、現実にも金融政策運営は、独立した立場から日本銀行の責任において行われている」」
では、誰がバブルを生み出したのか?
「窓口指導の貸出割り当てに関する決定が日銀で行われていたのなら、実際に決定に携わっていたのは誰なのか?」
「「第二地方銀行については、日銀支店の窓口指導担当者が各銀行の貸出額を決定していた」」
「「各支店に提示される貸出増加枠は日銀本店から来た。ただし、それほど細かくはなかった。都市銀行の場合は銀行べつに数字が分かれていたが、地方銀行の場合は、どの銀行にどれだけ割り当てるかはしてんの窓口担当者の仕事だった」」
「指揮命令系統を上に辿っていくと、営業局のトップの責任者がいる。」
「日銀の担当者は正確なプロセスを説明できなかった。」
澄田総裁がバブルを生み出したのか?
「1984年から1989年12月という窓口指導でバブルが生成された重要な時期に、日銀総裁の座にあったのは澄田智だった。澄田は日銀内部からこの地位に登ったのではない。彼は「天下り」で、大蔵省のトップから引退した元大蔵官僚だった。」
「三重野総裁は「・・・金融機関はそういう土地の投機に力を貸すようなことはすべきではない。しかも、そういったことは銀行の健全性を損なうことにもつながるわけですから。金融機関に対して土地融資については非常な自戒と自粛を要請していたわけですが、今後もさらに一層自戒、自粛を要請していきたいという考えでいます」」
コメント5”本著の後に出てくるが、マッチポンプ(地価の高騰, バブルの崩壊)を仕掛けた張本人は三重野さんになる。日銀の職員は日銀が一体何を実行しているのかが分からない状況で仕事をしている。大蔵省からの天下り「総裁」の知らないところで、「副総裁」がごく限られた幹部との合議で窓口指導の総量を割り当てを決めている。この構造は1717年以前から世界支配を目論み活動している秘密結社、死の血盟団の体制に酷似。表の顔を監視する賢人が極少数の桁違いのお金持ちのために役割を果たす。ロナルドベルナルドさんの告白はこの体制の確からしさを示す。「良心を-100度の冷凍状態に出来ないのであればマネタリシステムに関与するな」BISを頂点とする債務貨幣制度は世界中から富を収奪する装置。日銀はこのBISの傘下にある。日本政府は50%以上の株主だが、日銀は窓口指導によってバブルを起こせるほどに日本経済に影響を及ぼしていることを当時、大蔵省は知らなかった。三重野さんを中心とする一部の日銀職員は、バブルが崩壊して首が回らなくなって自死する事業者が出ているにも関わらず、貨幣供給量を増やさなかった。まるで、悪魔崇拝者の所業。ナチスの決済銀行であったBISの文化を日本に持ち込んでいる。植田和男さんはこの経緯及び、日銀には人類を悪魔崇拝にする文化のあることの自覚があるのだろうか?経歴は大蔵省出身でも、日銀職員でもない。”
総裁が交代すれば政策も変わるという神話
「澄田総裁は本当に日銀の金融政策をコントロールしていたのか?松下総裁は在任中、本当に日銀の政策を動かしていたか?澄田と松下が日銀の信用創造政策を握っていたかどうかを見れば、これは容易に判断できる。」
澄田は窓口指導を決定していなかった
日銀における政策決定会議(政策委員会, 理事会)。政策委員会は理事会の決定事項の承認機関。理事会には日銀役員、総裁、副総裁が出席。1984年から89年まで、理事会では窓口指導の貸出増加割り当ては一度も理事会で決められなかった。話題にも出なかった。
澄田は重要な意思決定、つまり窓口指導の決定には携わっていなかった。
「なぜ、80年代末に窓口指導の貸出増加額があれほど高く設定されていたのか、日銀スタッフは誰も彼に説明していなかった。」
大蔵省出身の総裁は意思決定から排除されていた
「澄田氏は例外ではなく典型だった。1995年はじめ、大蔵省が必死に景気浮揚を試みている時、日銀が信用創造量を引き下げて不況を悪化させ、1ドル八十円という円高を引き起こしたことは前に見た通りである。しかし、当時の日銀総裁は松下康夫だった。」
松下は日銀スタッフが中央銀行の信用創造量について一度も説明しないと不満を漏らしていた。松下が日銀の量的政策について尋ねると日銀スタッフはこの問題は混みいっていて理解しにくいから、日銀生え抜きの行員に任せておけば良いと示唆した。
大蔵省出身者が日銀総裁に任命されると信用創造量の決定から排除される。信用創造量は部下の日銀スタッフが決定し総裁には報告しなかった。世論は日銀の真の統治者について誤解させられてきた。
かしこまりました、総裁
大蔵省出身の日銀総裁には総裁秘書役が監視していた。総裁が日銀路線から逸脱しないように。大蔵省OBの澄田智さんが総裁時の秘書役丸磐根さんは澄田さんの人間性に魅了されお目付け役の義務を十分に果たさず更迭。
コメント6”丸磐根さんは良心を-100度の冷凍状態にし続けることができなかった賢人役。”
戦後日本を支配した六人
日本経済の日銀支配は日銀出身の総裁ではない時期に日銀出身の副総裁が実権を握る。副総裁の前は営業局長。営業局長が窓口指導の信用創造の総量と割り当てを実質的に決めている。
P.225-P227に一覧表(総裁, 副総裁, 営業局長)
1962年から94年まで国家の操縦桿を握っていたのは三人。佐々木直さん、前川春雄さん、三重野康さん、福井俊彦さん。実際の支配者は民主的なチェックアンドバランスとは無縁のところで意思決定。お金を手にするものしないもの。経済を不況にするか回復させるか。どれだけの人を失業させるか、職を得させるかを決めた。
日本の支配者はどうやって選ばれるか?
「支配者は自分に忠実で目標も目的も同じくする人物でない限り、権力を渡しがらない。つまり、後継者を選ぶにあたって最優先される基準は、自分への忠誠度と目標を同じくするかどうかであって、必ずしも能力ではない。強い忠誠心を育むためには、かなり早い時期から後継者を王位「継承者」に指名しておかなければならない。そうすれば後継者は恩義を感じ、先任者の政策を継ぐことで応えるだろう。」
法王とプリンス
「日本の真の支配者は、この重要な地位に「自分たちの側」の人間をつけたがった占領軍によって指名された。」
「マッカーサー司令部は、戦争犯罪の裁きと(死刑を含む)厳しい刑罰の脅威を利用して、戦時経済体制の指導者たちをアメリカに感謝し協力する友人たちに仕立て上げた。」
プリンス佐々木からプリンス三重野へ
「佐々木のキャリアは、戦後日本の多くの人物と同じく戦時中から始まっていた。彼は「内閣総力戦研究所」で働いていたが、そこで政策ゲームの一環として、各種の政策的選択肢を研究するために「模擬内閣」が作られており、佐々木はすでに模擬日銀総裁役の地位を占めていた。」
「中央銀行がある東京日本橋に戻った三重野の最初の試練は、1960年代の株価暴落の時にやってきた。もちろん日銀はこの暴落に驚きはしなかった。窓口指導の貸出枠を急激に引き締めて暴落の引き金を引いたのは日銀だったからだ。三重野は総務部企画課長に任命され、山一證券救済のため、かつてなかったほど大量の流動性を直接注入する指揮をとった。」
佐々木の秘密のサークル
円のプリンスたちの秘密のサークル。ごく少数で意思決定。理事、日銀出身者でない総裁も招かれなかった。
コメント7”西欧発祥の円卓会議のよう。”
日銀マンは世間の穿鑿を受けない
日本を支配する関東軍
「「窓口指導は営業局長が決めていた。営業局長は日銀で最も強い力を持ち、いつかは総裁になる人物だった。バブル時代の営業局長は福井で、20年前の局長は三重野だった。」
バブルを生み出した人物
「投機を潰した後の総裁としての講演の中で三重野は、バブルの責任は不動産投機及び銀行という民間部門にあると非難した。だが、不動産投機を責めるのは当たらないだろう。銀行が無責任にも、文字通りただのような資金を提供して誘ったのだから。そして、銀行がそうせざるを得なかったのは、三重野の窓口指導によって不動産業種への貸出枠を大幅に拡大しなければならなかったからである。」
「我々は、日本のバブル経済を生み出し、戦後最長の不況と1930年代以来という記録的な失業増加をもたらした責任者を突き止めた。それは日銀内部の少数グループで、彼らは他の日銀スタッフによるチェックもコントロールも及ばないところで行動していた。円のプリンスたちである。日本をコントロールしてきたのは彼らだった。彼らの名は三重野康、福井俊彦、そしてバブルの生成の初期に彼らの師である前川春雄も加わっていた。」
第14章 日本改造10年計画
第15章 もうひとつの奇跡
第16章 景気扶養ー回復は始まっている
第17章 アジアープリンスたちのつぎの仕事場
第18章 セントラル・バンカーが暮らしを支配する
第19章 アラン・グリーン・スパンの秘密
謝辞
ここに登場する日本人のリスト
浅野幸弘さん、貝塚啓明さん、金森一雄さん、松原純子さん、岡崎哲二さん、奥村洋彦さん、酒井恵子さん、関志雄さん、加賀美信光さん、五賀潔さん、五賀由紀さん、長森誠さん、坂本あおいさん、関廉克さん、鈴木順子さん、谷都朋紀さん、山田修二さん、吉田敏子さん、加瀬昌男さん、当間里江子さん、深井彩美子さん。
裏表紙
「これは論争の種になりそうな本だが、次の理由から本書を推奨したい。日本銀行の歴史については著名な本が何冊かあるが、いずれも1960年代に出版されたものであり、バブル期とそれ以降の経済については書かれていない。『円の支配者』の特徴は、現在の視点で日銀の歴史を取り上げる最初の試みだと言うことである。本書は研究者、実務家双方の大きな関心を引くに違いない。(東京大学経済学部教授:専攻=経済史 岡崎哲二氏」
引用しました
20251219 印鑰 智哉さんFB投稿へのコメント
FBへの投稿、昭和末期の日本のバブルの崩壊は実は様々な国で再現されています。
20251230 原口一博さんのyoutube動画へのコメント
おわりに=Outcome
それから=OnGoingAction
学習終了まで記録しない
変更管理
学習終了まで記録しない
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