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GDP至上主義への疑問

      2020/03/03


GDP至上主義への疑問2019年2月13日起案、16日脱稿

昨日から #nextAI の製品コンセプトを新しい視点から書き始めました。

私の製品コンセプトの定義は「社会の課題を解決する仮説」で、製品はその手段として扱います。

製品コンセプトを書いている途中で、一昨日の対話を思い出しました。

「何かをするときにお金のやり取りがあるとGDPに加算されるけれども、お金のやりとりをせずに個人間の信頼関係で何かをするとGDPには加算されない。」

「生きるために働かなければならない国と、お腹が空いたら道端になっている果物を食べれば空腹が満たされる国とではどちらが幸せですか?」

この一つの事実と一つの質問から、あなたは最初に何を思いましたか?

もし、社会の課題を思い浮かべられたのでしたらそれをコメントして頂くか、メッセージを頂けましたら嬉しいです。#nextAI の仕様に反映したいと思います。

fbグループ「公共貨幣de持続可能な日本経済を模索する懇話会」をご存知でしょうか?

ここでは様々な「公共貨幣」が登場します。
着目しているのはシカゴプラン、補助通貨、べーシックアローワンス。

また、現状の貨幣経済の課題が、そのヒトの視点から浮き彫りにされた投稿で溢れています。
その問題意識に対する、別の方の視点からの意見を知ることができます。
着目しているのは信用創造、複利、自由貿易。

このグループの投稿で明治政府が貨幣をどのように扱って経済政策を推し進めたのかを知りました。明治政府は貨幣をどう定義したのでしょうか?

明治政府は貨幣を「労働の対価」として扱い経済政策を推し進めました。



富国強兵。

当時の明治政府の目標でした、この目標を達成するために国民の意識をここに集め、実体を現すための経済政策であったのだと推量しています。

その後、日本は敗戦を体験したものの、見事、世界から経済大国として認知されるに至りました。今の日本を築かれた先人には感謝の念しかありません。
ここ30年間は停滞していますが、将来、次の経済体制への準備期間であったと言われるように行動して行きたいですね。

私は2025年までの一人一人の行動が、2070年の世界を決める分水嶺になると考えています。


ここからが標題のテーマです。

GDPを初めて知ったのは小学校の社会の授業でした。
「経済的な豊かさ、国力を測る物差し」こう記憶しました。

GDPで世界第2位。
なんとなく嬉しかった氣億が残っています。



その後、冒頭の一つの事実と一つの質問に出会います。
GDPが国の豊かさや国民の幸せの指標になるのだろうか?
こんな疑問が頭にもたげて来て、本記事に至りました。

それでは、国の豊かさ、国民の幸せと経済的な指標との関係性について話を進めて行きましょう。

前段は経済的な指標の意味を、後段にそれと国の豊かさ、国民の幸せとの関係性について。

まずは、経済的な指標の意味から。

物価の高い国と物価の安い国があります。
全く同じ経済活動をした時、どちらの国のGDPが高くなるのでしょうか?



勿論、物価の高い国ですね。


物価が異なる国の間で、平均年収を比較することに、本質的な意味はないと思えるのですが、あなたはどうお考えですか?


経済活動が盛んなことは、その国の何を示すことになるのでしょうか?

私の視点から一つのモデルをお示しする前に、この問いのBackgroundをお示ししたいと思います。

<Background、ここから>

経済活動が盛ん、とは、どんな状態を指すのか。

お金のやりとりを伴う活動の場合、「自分にやりたいことがある、欲しいものがあるけれども、自分一人では必要なタイミングでそれを手にすることができないので、お金でその時間を買う」活動が盛んなこと。
お金のやりとりを伴わない活動の場合、「自分にやりたいことがある、欲しいものがあるけれども、自分一人では必要なタイミングでそれを手にすることができないので、誰かに協力を仰いてその時間を短縮する」活動が盛んなこと。

協働作業の数が経済活動の盛んさを示す指標になります。

最小単位の協働作業は、満たしたい欲求があるヒト一人とその欲求に応えるヒト一人の二人による協働作業。

ゼネラリストとスペシャリスト。

一人で一つの製品やサービスを提供できるヒト、ゼネラリスト。
一人では一つの製品やサービスを提供できないが、それを作る作業の特定の部分を担当できるヒト、スペシャリスト。
同じ活動をする場合、そこに参加するヒトの数が経済活動の盛んさを示す指標になります。
同じ活動をゼネラリスト一人で実施するのではなく、複数のスペシャリストで実施しても製品価格が同じならGDPは増えません。
そして、
リテラシーの高さはゼネラリストとして活動できる可能性に相関します。

ここまでをまとめます(まとめ1)。
私は、「経済活動の盛んさ」を「協働作業の数」と「参加人数」で表せると考えています。
私は、「経済活動の盛んさ」とGDPとの関係性を次の通り考えます。
お金を伴う協働作業がGDPに反映される。同じ活動を一人ではなく複数で実行しても製品価格が同じならGDPは増えない。



明治政府が実行した「富国強兵」は、当時の欧州や米国と国力で肩を並べるために、国民の意識をそこに集中させ、実体化に向けて国民のリテラシーを高めました。
「労働による対価」を上手く機能させる社会体制を取り続けて、社会資本を蓄積した歴史だと考えます。

天然資源に乏しい日本は、戦後、原材料を輸入して製品を輸出する経済体制を選択して、大企業を中心にこの体制を推進しました。
大企業が品質の良い製品を海外製品と価格競争力を持たせて生産して輸出できる体制です。円の固定為替制はこの体制にとって好都合でした。
事実、日本の企業では残業しなければならない程に生産活動を展開していました。
こうして稼いだ給料を家電や自動車、家の購入にあてて、企業の生産活動の興隆と共に社会資本が充実しました。
専売公社等の国営企業が社会資本の充実を牽引した領域もあります。
この間、世界を席巻したのは自由貿易です。この発想は私には世界の国々で自国の得意分野に特化した製品を製造し、それを世界中に届ける。数が出れば価格を下げることができて、すべての国のヒトが安価な製品を購入することができる。
製品を安価に製造するという観点から「分化」「分業」が進み、国家間の貿易によりお互いが富むという発想があったように感じています。
様々なモノが足りない時代は生産物に応じて分業するという考え方は、それに必要な知識技術を蓄積し、活用するという観点から効率的だと考えられます。

国の社会資本が足りない場合、今でも「労働による対価」による政策と分業による生産の効率化が国力を高めるためには有効でしょう。

ところで、

「経済活動の盛んさ」は社会資本の足りない時と、社会資本が充実した時とは、全く同じなのでしょうか?
それとも、どこか違うのでしょうか?

ここで言う社会資本の定義は「個人が社会的活動を行う場合、活用できる資本。人間関係、知識と物理的な道具や社会基盤の両方を指す。」社会とは人間関係のこと。つまり、家族関係も社会とする。すなわち、家事に使う家電も社会資本と捉える。
社会資本とは「生きて行く上で必要不可欠な活動」、「義務的な活動」においてヒトを支援する存在に限らず、「楽しむ活動」においてヒトが活用する存在も含む。
つまり、ヒトが必要に応じて作り、一人の個人のみが所有し使用するのではなく、複数のヒトが扱えるものはすべて社会資本と考える。なお、所有者が変更すると、複数のヒトが扱うことになるので社会資本になる。
社会資本の有効活用は使用期間、使用時間率や使用人数を指標とする。
シェアリングエコノミーは社会資本の有効活用率を高める経済です。

日本における、社会資本の充実度から「経済活動の盛んさ」を考えてみましょう。
社会資本が不足している状態での活動は既にお示ししましたので、社会資本が充実してからの活動について考えます。

令和の世界を見渡すと、どんな状況でしょうか?

2015年SDGsが公表され、持続可能な地球のための活動が世界で展開されています。
日本の社会資本は、国民が日常生活を送るには十分です。もしかしたら、30年前からこの状態だったのかも知れません。ただし、古い社会基盤を新しくするための投資は必要です。
この変化を加速したのはインターネットです。情報伝達のコストと時間が飛躍的に向上しました。このインターネットをインフラとして上手く活用したのがGAFAです。
GAFAが日本の国民の個人情報を収集しています。蓄積したビッグデータを扱っているのはGAFAであり日本ではありません。欧州はGAFAを含む域外地域から個人情報を守る法を整備しました。
シェアリングエコノミーが徐々に浸透しています。自動車会社も製品をシェアリングするサービスを開始しました。

モノの不足している時代は、モノを充足させる目標で経済は動きますが、それが達成した後、何を目標に経済は動くのでしょう。
それは、当然、モノの不足以外の課題になります。

よくよく考えれば、新しいモノは、それが必要な何らかの課題があって、その課題を解決する手段として実体化されます。

課題がなければ経済は動きません。
つまり、はじめにモノありきではなく、はじめに課題ありきです。

この課題はどこで見つけるのでしょうか?

それは、市場にあります。ただし、この市場、既に存在している場合もありますが、まだ、存在していない場合もあります。

どちらを市場と捉えるにしても、この市場を何らかの形で扱えないと課題を明らかにできません。
そこで、ヒトは市場を情報に変換して扱いました。売り上げ、シェア、リピーター、価格等です。

欧米ではこの文化が当たり前のように根付いています。一方、日本は戦後、海外の製品を輸入するところから不足している社会資本の蓄積を開始しました。つまり、製品開発には海外製品というモデルがあったのです。売れている海外製品をモデルにして、それと同等もしくはそれ以上の品質で安価に製品化することで社会資本の蓄積を開始しました。最初から答えの分かっている課題に取り組み、それを効率的に実施することで社会資本が蓄積され、世界第2位の経済大国にまで、上り詰めました。
この日本の社会体制を推進するための学校教育では、答えは一つ、その答えを効率的に見つける方法を徹底的に教えました。
この教育システムは、社会資本が充実してしまうまでは有効でしたが、充実してしまった後、次の社会に相転移するためには足枷となってしまいます。
社会の相転移には他のヒトとは異なる発想を育てる環境が必要ですが、一つの答えを効率的に見つける環境は、ヒトと異なる発想を抑えてしまいます。
既に設定されている一つの答えを効率的に見つける能力が評価されて社長になったヒトは、多分、自ら課題を設定することが苦手なのでしょう。誰かの設定した課題に取り組み続けたからです。
事実、文部科学省は大学生の課題設定能力の低いことを課題として捉え、経済産業省と合同で大学生の課題設定能力を高めるカリキュラムを開発しました。

このカリキュラムに期待したいのは、課題解決の評価方法を自分で作る能力の開発です。
日本はGDPもそうですが、医学の診断基準も海外で確立した指標を用いる傾向があります。
勿論、それが課題解決の評価方法としてマッチしていれば良いのですが、評価方法を確立したのが日本ではない場合、日本での前提条件が反映されていない可能性があります。
例えば、性の話題について日本人はあまり語りたがりません。しかし、海外で確立された医学の評価方法では、必ずと言って良いほど性の話題が出てきます。この評価方法を日本で用いた場合、この項目の回答の信頼性が低くなることが危惧されます。正しくない回答で診断を下してしまう可能性があるのです。
自分達に合った評価方法を創る。私は新薬開発でその治験薬に合った有効性の評価方法を設定していました。
例えば、「汎用人工知能を社会的なリスクをコントロールした上で社会実装するための評価方法」は、ターミネーターやマトリックスの世界にしないための鍵になります。

そして、いつの時代も課題を設定したヒトがリーダーです。その課題はそのヒトの視点によって見出され、第三者に伝え得ないBackgroundを持っているのは、そのヒトだからです。
そのヒトがどれだけ世界を俯瞰できるか、どれだけ世界を洞察できるか、自分が描く未来にどれだけ臨場感を持てるか。
この3つの能力が「設定できる課題の上限」を決めてしまうと私は考えています。

社会資本が充実したら、経済活動の盛んさは、リーダーの課題設定能力と相関します。

科学にBackgroundがあるように、社会の課題にもそのBackgroundがあります。
社会の課題のBackgroundの大部分は社会資本にあります。正確に言えば、そのヒトが社会資本と認識し、自身の世界モデルにグラウンディングした諸要素の関係性、関係性概念の中にあります。

究極の社会資本は、社会を相転移させるアイデアを持ち実行するヒトです。社会を設計するヒトと言えるのかも知れません。ヒトの姿として目に見える資本として存在しますが、そのヒトの持っているアイデアは見えない資本です。そして、そのヒトがそのアイデアを公表しない限り、それは社会資本にはなりません。

ここまでをまとめますね(まとめ2)。

私は、社会資本が足りない時は貨幣を「労働の対価」として扱い、分業による生産の知識と技術を蓄積して有効活用し、国民の欲求を満たすモノの生産により社会資本を充実させる、と考えています。
私は、社会資本が充実してくるとモノの価格は下がってくる、と考えています。
私は、社会資本が充実してくるとリーダーの課題設定能力が経済活動の盛んさに相関する、と考えています。
私は、究極の社会資本は今の社会を次の社会に相転移させるアイデアを持ち、それを実行するヒト、と考えています。

ここまで経済活動の盛んさを定量的に測る方法と社会資本の充実度との関係性からの影響因子について考察をしました。

ここまでが前段の経済的な指標の意味、ここからが後段の経済的な指標と国の豊かさ、国民の幸せとの関係性について。

豊かさや幸せにはBackgroundがあります。このBackgroundを考える上で、見える資本と見えない資本との関係性に理解を深めるのは有効です。

それでは、見える資本と見えない資本の観点から考察を深めて行きまましょう。

日本で言えば、新幹線、高速道路や家、ビル、そして水道、ガス、電気、が目に見える資本で、震災があっても略奪は起こらずパニックにならない、サッカー観戦の後観客席のゴミを拾ってから帰る、お金、組織が目に見えない資本です。
常に変化は目に見えないモノから目に見えるモノへと相転移します。この後、変化した景色が意識に影響を及ぼします。
ヒトは不安をコントロールする時、景色の変化への対応よりも、景色の変化のコントロールを選択します。積極的なコントロールは、主張すること、すなわち行動です。消極的なコントロールは、見ようとしないこと、自身の世界モデルと切り離そうとします。
そして、自分の行動が社会資本にどう影響を及ぼすのかを予測し、その差分を評価し、差分を最小化しようと、その能力を高めて行きます。

いつの時代も新しい景色は、あるヒトの頭の中に浮かんだアイデアから始まります。
この頭の中に浮かぶアイデアは見えない資本、新しい景色を生み出すアイデアが頭の中に浮かびやすい人間関係そのものが見えない資本です。
世界から絶賛されているおもてなしも、見えない資本です。

まず、見える資本としてモノを対象にして考えます。
次に見えない資本としてサービスを考えます。


社会資本が充実すると、モノそのものへの不足感は無くなる。
そして、原価と価格がどんどんと下がります。

例えば、家電です。
家電はヒトを家事労働から解放して来ました。多くの家庭では家電への欲求が量から質に相転移。近くにコンビニがあるから家に冷蔵庫を置かない若者がいるそうです。食材は近くのコンビニから必要な時、必要な量が配送される。そんな時代がもうすぐ来るでしょう。究極の家電は、それを使う家庭の欲求に対応し続ける家事ロボットに集約されて行くと推量しています。

次に自動車。
移動手段と割り切れば、コスト高なのかも。居住地の移動手段の充実度に左右されます。
行動の自由度に対するコストと考えれば割安になるのかも。
東京に来てから自動車を所有する必要性を感じることはありません。移動の手段に困らないからです。一方、移動の手段が限られている地方に住めば、自動車が欲しくなるのかも知れません。

家電と自動車は目に見える資本ですが、それぞれ、実体が現れてからの社会環境の変化や、その時の一人一人のライフスタイルによって欲求度や使い方にパターンがありそうです。
そして、どちらも基本性能を満たした製品の価格はどんどんと下がって来ました。

社会環境の変化で最も影響があるのは、他のヒトが持っているから自分も欲しくなるという環境です。新製品を出しても以前ほど売れない時代は、社会資本が充実した社会と言えるでしょう。

携帯電話は1970年代に自動車電話として市場に現れました。
その後、1980年代の肩からぶら下げるショルダーフォンを経て、どんどんと小型化して今のスマホ文化に繋がりました。
スマホ、携帯電話の普及の状況を見ると日本では個人通信の社会資本は充実を通り過ぎて飽和していると言っても良いと思います。
今は通信費がどんどんと下がっていますね。

社会資本は、その時のヒトの欲求に従って蓄積されて行きます。
これは社会資本の推移がヒトの欲求を反映することを示します。

次に、モノへの欲求を対象にして、社会資本との関係性について考えて見ましょう。

モノへの欲求は、所有の欲求と体験の欲求の2つに分かれます。
体験の欲求が満たされると所有の欲求が残らなければ、モノそのものへの欲求はなくなります。
シェアリングエコノミーが広がっているのは、所有の欲求がなくなって来ている証拠です。
多くのヒトの認知をこう変化させたのは、SDGs、持続可能な地球に向けての活動。
twitterの投稿記事で、欧州の若者が52週間新しい服を購入しない活動を見かけました。高円寺にはたくさんの古着屋があります。古着屋の数は、お隣の阿佐ヶ谷とともに増えています。

所有そのものがヒトの欲求だった社会から、所有も体験の一部となり体験を求める社会に、日本は相転移しました。
これは、どの国、どんなヒトにでも起こる相転移です。

この変化に伴い社会資本はどう変化するのでしょうか?

これまで扱うことの出来なかったモノを扱える社会になり、本人の望む通りにリテラシーを高めることを可能にする社会に変化しています。

大学の講義でさえ無料で視聴できる時代です。
3Dプリンターの貸し出しもしています。
クラウドファンディングから資金を調達できます。

誰かが所有しているモノを必要な時に利用をさせてもらう。お互いに。
自分が欲しいモノを自分で作るための知識技術、道具を必要なタイミングで手に入れることができる社会になって来ています。

所有体験に満足したヒトは、モノを共有して体験の欲求を満たす活動を展開します。
社会資本はこの活動を展開しやすい状態に相転移します。
レンタカー、レンタサイクル、AirBndB、Uber等が既に市場を形成しています。

ここまでが、モノの視点から見たヒトの欲求と社会資本の充実との関係性です。

では、見えない資本であるサービスにおいて、ヒトの欲求と社会資本はどう変化して行くのでしょうか?

サービスは体験の欲求を満たします。
この体験に満足したヒトは、次にこのサービスを提供できるヒトと個人契約を結んだり、自分が提供できるようになりたいと思うようになります。
これは、言い方として違和感を持たれるかも知れませんが、サービスの所有欲求と表現できます。

コーチングを受けたヒトが自分がコーチングできるようになりたいと思う。
カウンセリングを受けたヒトが、自分もカウンセリングができるようになりたいと思う。
自分が長い間苦しんできた病気を治してくれた医師に出会ったら、自分も同じことができる医師になりたいと思う。
血糖値ピークをコントロールする食事療法、ファットアダプテーションを熟知したシェフと個人契約を締結する。

サービスはモノとは逆に体験欲求から所有欲求に相転移します。

ここまでをまとめます(まとめ3)。
私は、モノへの欲求は所有から体験に相転移する、と考えています。
私は、サービスへの欲求は体験から所有に相転移する、と考えています。
私は、モノを扱う社会資本は必要なヒトに必要なタイミングで届ける状態になって行く、と考えています。
私は、サービスを扱う社会資本はそれを実行できるヒトが増えて行く状態になって行く、と考えています。

経済活動が盛んなことは、その国の何を示すことになるのでしょうか?

この設問に至るBackgroundの説明はもう少しで終わります。
もうちょっとだけお付き合いくださいね。

経済活動の盛んさとGDPの関係性をお示ししました。
「お金のやり取りを伴う協働作業の数とそこに参加する人数(特にスペシャリストと顧客の数)がGDPを決める。」
経済活動の盛んさと社会資本との関係性を見える資本と見えない資本との関係性でお示ししました。
「モノもサービスも社会資本が充実すると、個人のリテラシーを高める状態に相転移する。」

社会資本は国民の欠乏感を満たす方向で充実して行きます。
この欲求は満たされたい、満たされ続けたい、その実現に対する不安と表裏一体の感覚です。

ヒトは欠乏感が満たされ始めると、自分独自の欲求を満たしたいと思うようになります。
最終的には誰かにその欲求を満たしてもらうではなく、自らが自らの欲求を満たすようになって行きます。
これは、自らの欲求を正確に第三者に伝えることが難しいからです。自らの欲求を正確に把握しているか、正確に把握しているとして、それを自分が把握しているのと寸分違わず、相手に理解してもらえるのか、この2段階の壁を乗り越えないと、自身の欲求が満たされないことに氣付くからです。

自身の欲求を自らが満たす。
この感覚はヒトに有能感、万能感を齎します。

小さな子供が親の手を借りずに、すべて一人でやろうとする感覚と同じです。

この感覚の先には、困っているヒトが居たら助けて上げたい、助けて上げることができるという自信への期待感と実現可能性を高められる感覚が待っています。

というか、こっちの感覚からヒトは有能感、万能感を得ようとすると私は考えています。
これは赤ちゃんの頃、自分一人では何もできず母親が世話をしてくれることで「快」を味わったことから、自分を母親に写して、母親のように自分の子供を満たしてあげられるようになりたいと思った欲求が、他者貢献の起源になっているからだと私は考えています。

<Background、ここまで>

経済活動が盛んなことは、その国の何を示すことになるのでしょうか?

まず、この設問に私の視点からの一つのモデルをお示しします。
そして、このモデルから見えてくるGDP至上主義の落とし穴を共有させて頂きます。
最後に、GDP至上主義への疑問から見えてくる人工知能時代の一人一人の幸せのモデルを提示します。

経済活動が盛んなことは、その国の何を示すことになるのでしょうか?

私の視点から一つのモデルをお示しします。

社会資本の充実度により、経済活動の盛んさを測る指標が変わります。

国民がモノの所有欲求が満たされていない時期は、モノの生産量が「経済活動の盛んさ」の指標になります。
この活動は「貨幣は労働の対価」として扱い、国民がモノへの欠乏感が満たされるまで、これを指標として経済政策を打ち続けます。
この時期はスペシャリストの分業文化が推進されてGDPは一つの有効な物差しになります。
しかし、新製品が思うように売れなくなり、価格を下げないと売れなくなって来たら、社会資本が充実して来たと判断できます。
一人一人がリテラシーを高め、自身の欲求を自らが満たせる環境を整備する。
この場合、お金のやり取りをしなくても自身の欲求を満たせる環境を一人一人が自己組織化できる社会資本が出来つつあります。
この状態でお金を指標として経済政策を打っても社会の活力は高まりません。なぜならば「労働の対価としての貨幣」の役割が終焉を迎えているからです。
今後、AI、ロボット、IoTが理想的に活用されて、社会資本が更に充実してくれば、国民の労働がなくても国家を運営できるようになって行きます。こう考えたとき、「経済活動の盛んさ」は、国民(リーダー)が立ち上げたプロジェクトの数が良さそうです。国に活力を産み出すアイデアを出すヒト、その実現に協力するヒト、そのプロジェクトに資本を提供するヒト。資本が充実した社会での国民はこの3つの領域のどこかに所属しそうです。国民一人一人がリテラシーを高められる社会資本が充実してくると、どの役割も熟せる国民になって行くでしょう。

欧州では市民活動が盛んで、政党と市民活動には密接な関係性があります(イタリア オリーブの木)。また、NPOが社会の中心的な役割を担うと言う考え方もあります(ドラッカー、非営利組織の経営)。

最後になりましたが、お金は国民がプロジェクトを推進するための資本として扱い、発行する度に社会の活力を増す政策を取り続けることを提案します。お勧めは有効期限付暗号通貨による発行です。暗号資産の発行を限りなく0に近づけることを政策に掲げ、個人間の信頼関係でプロジェクトが動く社会へと相転移する政策を取り続けることを提案します。

ここまでをまとめます(まとめ4)。
私は、モノが不足し社会資本が充実するまでは、モノの生産が「経済活動の盛んさ」を示し、GDPはそれを代替する一つの指標である、と考えます。
私は、モノが充実し社会資本が充実すると、国民(リーダー)のプロジェクト数が「経済活動の盛んさ」を示し、指標がGDPのままでは国の活力を削ぐことに繋がる、と考えます。

ここまでが「経済活動が盛んなことは、その国の何を示すことになるのでしょうか?」への回答としての一つのモデルです。

次に、このモデルから見えてくる「GDP至上主義の落とし穴」をまとめます。
・GDPは経済活動の一つの指標で、製品の付加価値の合計から輸出分を引いた金額。
・全く同じ経済活動だった時GDPは物価が高ければ高くなり、物価が低ければ低くなる。
・GDPそのものには自国の経済政策の評価指標として信頼できるが、他国との比較の評価指標にはならない。
・社会資本が充実してくるとGDPに反映されない経済活動が増えてくる。

・社会資本が充実した後の政策をGDPを指標にして展開すると国の活力を落としてしまう。

私は、GDP至上主義は、社会資本が不足している社会では「労働の対価としての貨幣」を中心とした経済政策の一つのモデルとして有効に機能するが、社会資本が充実してからは、国の活力を落としてしまうので国民のプロジェクト数を経済政策の指標として、それを加速させる産業構造に変化させる政策に転換すべし、と考えます。
また、
私は、先進国でモノが売れなくなり、各国でゼロ金利政策が取られるようになった歴史は、少なくともGDP至上主義が経済政策として上手く機能しなくなったことを示していると、考えます。

更に、
私は、2018年から内閣府が始めたムーンショット型研究開発型事業を立ち上げたのは、経済政策の指標を変えるため、もしくは、これを起点に結果的に変えることになる、と考えます。

最後にGDP至上主義への疑問から見えてくる人工知能時代の一人一人の幸せのモデルを提示します。

ヒトには社会性、社会的な欲求があり、どんなに科学技術が進化しても、他者との協働作業はなくなりません。つまり、組織はなくならないのです。
また、利他の精神、と言う言葉があるように、他者の幸せを喜ぶ感情をヒトは持っています。
社会性、利他の精神を満たすBackgroundは組織です。


組織の役割はその組織の設立目的として掲げた社会的な役割、専門性を発展させる知識と技術のKnowledgeManagementSystemになります。
ヒトの出入りは自由、機械や道具もそれを必要とするヒトが使い放題(順番待ちはあるのかも)、つまり、国民一人一人がプロジェクトを実現するための社会資本にする。こう決めると、私的な組織として立ち上げても、そのうち公的な組織に相転移する流れができそうです。
最初は人手で蓄積していた知識や技術がやがて、自動的に機械に蓄積できるように組織が相転移し、誰もがそれにアクセスできるようになって行くでしょう。既に標準が確立した製品やサービスは、「欲しいボタン」を押すと、自動的にボタンを押したヒトの手元に届く社会です。
こうして、様々な組織に蓄積された知識や技術を誰もが無料でアクセスし、自身の欲求を自らが満たせるまでにリテラシーを高められる社会へと相転移を続けることになるでしょう。これを可能にする政策を取り続けることを提案します。


こう考えると、「経済活動の盛んさ」は、その国の社会資本の充実度と国民の欲求が所有にあるのか体験にあるのかを測る指標になります。ただし、その測定値は社会資本の充実度に対応したGDPと国民のプロジェクト数、更には、お金の発行量(理想は0)へと変遷して行きます。

この未来はあなたが自分のやりたいことをプロジェクトとして立ち上げて、それを協力者と一緒に実現に向けて活動を始めれば、どんどんと近付いてきます。



あなたが主体的に活動することができる。
あなたが学び続けることができる。
あなたが誰かと対話を続けることができる。

それは、あなた自身がそのつもりになり、そうあり続けることで実現できます。

私にはそんなに難しくないように思えます。

子供の頃、誰もが何かに夢中になった体験があるから。
その夢中になった体験には自分の笑顔と相手の笑顔があるから。
この夢中になった体験が、あなたの幸せの原点だから。


なかなか、プロジェクトが見つからないのならば、何かに夢中になっているヒトと対話をされること、一緒に活動をされることをお勧めします。

こんな未来を一緒に実現して行きませんか?

#マインドドリブンソサイエティ

 - アファメーション, イノベーション, マインドセット, モデル, リーダーシップ, 下村拓滋, 人工知能, 幸福論, 抽象度, 社会 , , , , , , , , ,

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